昔こけし工人がアルチザンの職人時代、こども相手のこけしを作っていた時、技巧派は大人相手のこけしを作り、こけし界で目立った。現代のようなアーチストじだいでは技巧派は目立たなくなり、却って渋さや素朴派のような底辺郡が希少価値を持つようになった。また稚拙は技巧の対照的な位置にある手法上の姿であって、本質的なものでない。底辺群の稚拙は観られるが、稚拙な甘美は鑑賞に耐え得ない。こけしは作る方の工人と鑑賞する方の収集家によって育っている。工人は収集界の空気に敏感である。両者とも美の道で己れに対決する者が前進するのである。古作と新作の間の時代差の本質を追求することは、こけし道の醍醐味である。
昔こけし工人がアルチザンの職人時代、こども相手のこけしを作っていた時、技巧派は大人相手のこけしを作り、こけし界で目立った。現代のようなアーチストじだいでは技巧派は目立たなくなり、却って渋さや素朴派のような底辺郡が希少価値を持つようになった。また稚拙は技巧の対照的な位置にある手法上の姿であって、本質的なものでない。底辺群の稚拙は観られるが、稚拙な甘美は鑑賞に耐え得ない。こけしは作る方の工人と鑑賞する方の収集家によって育っている。工人は収集界の空気に敏感である。両者とも美の道で己れに対決する者が前進するのである。古作と新作の間の時代差の本質を追求することは、こけし道の醍醐味である。