『こけし手帖』平成17年10月 537号 小川一雄氏著より
私が斉藤弘道を知ったのは、昭和42年のことである。(美と系譜)に斉藤太治郎と弘道が3本ずつ載っており、中屋蔵の太治郎に次いで、弘道の3本に好感が持てた。解説には『太治郎は一代限りの名工と思っていたが孫の弘道が祖父に負けぬ張りのあるのを続々と出したのは驚嘆に値する。』とあり、この3本いずれもが33年の作であった。
44年になって初めて弘道の新品を2本、備後屋で入手することができたのであるが、10年の歳月の経過は大きく、作品を異なるものにしていた。眼店小さく太治郎を写していたのが、その分弘道本人ののびのびした筆致は消えていたと言えようか。
そこで、この時点での話しであるが、弘道のこけしを中古品で遡(さかのぼ)りたいと強く思ったのである。話題の豊富な太治郎のこけしは、入札会でも良品の入手は難しく、そうこうするうちに弘道のおじになる佐藤正一こけしも集まってきた。 さて弘道であるが、34年作を1本入手することができた。
写真は、(美と系譜)のものとは1年違いであり、描彩はのびやかで力強く味もある。右から3本目は正一の33年作であるが、正一も悪くはない。弘道のこけしが太治郎に接近しているとはよくいわれることであるが、この時期正一の影響が強い。
※ 土湯系こけし工人・斉藤弘道(昭和5年~)は、名工 斉藤太治郎の孫の孫。叔父 佐藤正一について昭和30年より木地を終業、太治郎型をつくり、独特の返しロクロ入りの緻密な胴模様を描く。しかし、平成26年、廃業したと聞いたのです。弘道こけしは。わが家に数本あります。