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Channel: こけしおばちゃん
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紀元2600年のこけし

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 『こけし手帖』平成20年1月号 564号「例会ギャラリー」より。
 今年正月の「ひやね」入札会で入手した高亀系のこけしは胴裏に「東京こけし会、第1回現地の集い、2006.7.27」と書かれた焼き印が押されている。こけし辞典によれば「東京こけし会」は昭和15年(紀元2600年)の3月から10月にかけて尺こけしの頒布を行っており、同年7月27日には鳴子にて「現地の集い」を開催し、その時に頒布されたのが今回のこけしではないかと思われる。
 このこけしは焼き印から昭和15年の作と思われるが、署名や前所有者の書き込みなどは一切ない。出品工人名は高橋武蔵となっていたが、同時期の武蔵さんのこけしとは表情がかなり異なるように見える。眼点が大きめで目の位置も高く、若々しく明敏な表情なのである。あるいは若き日の武男作かとも思って正吾さんに聞いてみると、武蔵だろうとのこと。向かって右の眉目が上に流れる筆法は武蔵さん独特のものであり、本こけしの右眉目にも同様の特徴が出ているとのこと。
 またこの時期、武男さんは応召中で、こけしは作れなかっただろうということであった。
 ただ、葉と前髪、横鬢は直次さん(武蔵次男)が描いたのではないかと言う。特に三段重ね菊の一番下の花弁の下にも葉が描かれいるが、ここは本来なら「土」を描くべきところ。武蔵さんはそのつもりで最下段の花弁を下寄りに描いたが、後から葉を描いた直次さんはそうとは思わないで葉を描いてしまった。 そのため何とも窮屈な葉になってしまったのではないかと言う。当時はこけしの描彩も分業で、一本のこけしを複数の工人で描いていたそうである。
 記念に正吾さんに写しを一本作って貰った。「原」に比べると胴がやや太めで短い。右眉目の癖とか、最下段の窮屈な葉などは流石にそのまま写していないが、若々しい表情などは見事に再現されている。
 以上。こけし友の会 国府田恵一氏著より。
 
 

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