「胞吉型こけしと鈴木昭二工人の弟子たち」の中に稲積一郎工人が出ています。また、こけし全工人の栞には稲積一郎工人の本名が麻生希典と出ています。(T4・11・14生)。
写真,麻生希典の胞吉型とのんきな父さんで、写真△その底面のサインです。
麻生希典は、昭和60年に船橋の家を整理して東京へとあり。定年後、15年間(こけしを)楽しんできたとあります。こけし全工人の栞によれば仙台在住時、鈴木昭二が近所に居たことで鈴木昭二につき木地を習得し、仙台で定年退職を機に、昭和50年頃より胞吉型を作るとあります。
麻生希典の胞吉型こけしの底にS47・6・1125(写真◆砲判颪込みがあることから、昭和45年に定年(55歳)、定年から昭二に弟子入りするまでが本人名の麻生希典を、弟子入り後に稲積一郎を使ったのではないかと思われます。
麻生希典のお兄さんの麻生豊は、のんきな父さんの四コマ漫画で大変有名な方で、この漫画をもとに希典はのんきな父さんこけしを作ったと思われます。(写真 法
写真は、稲積一郎のこけし(7寸、6.5寸)とえじこです。サインは稲積一郎。この稲積一郎のえじこの顔というか目の表情に特長がありとても可愛いいのです。「こけし手帖」より。