伝統こけしたち
写真の右から ‥敕魴蓮Τ塑衒戸差人作(8寸、6寸)。昭和22年生まれ。昭和38年鳴子高亀にて修行、昭和42年に戻る。地元岩本芳蔵にも師事、芳蔵の善吉型を誠実に継承し、一貫して作風は変わらず、芳蔵師匠への思いは強い。≪たこ坊主会≫会長でもあった。...
View Article高橋輝行工人こけし
鳴子系・高橋輝行工人のこけし。(昭和15年1月13日生れ)。輝行工人は学校を卒業後、鳴子系高橋盛雄工人の弟子として高勘の職人となり、盛・盛雄工人の下で木地修行を行う。昭和40年結婚を機に独立し高勘系のきれいなこけしを継承して高橋勘治一家のこけし及び本人型のこけしも製作している。木地描彩共に優秀で、高勘出の工人のうちでももっとも正統派として活躍している。...
View Article「阿部国敏こけし」
土湯系・阿部国敏こけし工人(昭和47年9月29日生れ)は、下の松屋(阿部分家)の阿部治助・金一・シナ・敏道工人と続く土湯系の伝統こけし工人です。 国敏工人は、小学校6年生の頃より陣野原幸紀工人に木地作りを習う。描彩は祖母のシナ工人と父の敏道工人より習得する。 平成5年頃より約3年間、木地を陣野原幸紀工人より本格的に学び、平成7年頃から店にこけしを出した。...
View Article「西山憲一のこけし」
土湯系・西山憲一こけし工人(大正9年6月13日~平成15年11月18日生れ、享年84歳)は、昭和10年より、父勝次について木地修業。こけし製作は戦後昭和22年頃より行うようになった。 昭和33年に福島祖佐久間貞義の勧めにより、勝次・作蔵・辨之助の型を作ったが、面白い作が生まれて一躍注目されるようになった。...
View Article「伊予かすり会館」閉館へ
愛媛松山の郷土愛のシンボルとそれを織りなす表現力に民芸の神髄を見たのだろうか、、、 伊予絣の観光名所「民芸伊予かすり会館」が来年1月で閉館する。オープンから45年。松山市久万ノ台から市中心部の城山ロープウェイ街へ移転し、地元のタオル専門店と新たな事業を展開するという。...
View Article「加納陽平こけし」
作並系・加納陽平こけし工人は、加納伝三郎・栄次・博工人と続く四代目の若い作並系こけし工人です。 平成14年に学校を卒業後、一時サラリーマンとして働いていたが子供の頃から父の仕事に憧れていた気持を抑える事が出来ず平成22年より父、博工人の下で木地の仕事を手伝うようになるが、東日本大震災で工房が大きな被害を受け木地の仕事が出来なくなった為に一時中断する。...
View Article伝統こけしたち
写真の右から ‥敕魴蓮Πど国敏工人作(えじこ)。昭和47年生まれ。このえじこは、子供のイメージで中が動くように工夫された作品です。土湯の若手の中心的工人として益々の活躍を期待します。 ◆‥敕魴蓮高橋賢三工人作(6寸)。昭和14年生まれ。地蔵型こけしや、この阿部廣史型のこけしなど作る。高橋賢三工人は、廣史型を作る唯一の工人でもある。色使いが鮮やかで人気のこけしでもある。...
View Article「麻生希典のこけし」
「胞吉型こけしと鈴木昭二工人の弟子たち」の中に稲積一郎工人が出ています。また、こけし全工人の栞には稲積一郎工人の本名が麻生希典と出ています。(T4・11・14生)。 写真,麻生希典の胞吉型とのんきな父さんで、写真△その底面のサインです。...
View Article新人工人紹介 「吉野誠二こけし工人」
肘折系・吉野誠二工人は、昭和25年6月15日生れ。サラリーマンの傍ら伝統こけしの収集をして約2000本を所蔵しています。友の会会員としても20数年になります。...
View Article大野栄治のこけし
弥治郎系・大野栄治こけし工人は、戦前の昭和14年頃から休止していたこけし作りを昭和26年に復活しました。 写真,蓮5寸、戦前作。米浪旧蔵品で昭和16年発行の「こけし人形図集」に5本載っており、そのうちの1本です。昭和6年から7年頃の作かと思いますが、もしかするともう少し後の作かもしれません。...
View Article佐藤達雄のこけし
木地山系・佐藤達雄工人のこけし 達雄工人は秋田県湯沢市川連に生まれて伝統工芸の盆・椀・小物容器・花器等の漆器を製造・販売する店「源創工芸」を経営する傍ら卓越した木地技術を使い秋田県出身の木版画家「池田修三」がテーマにした「情緒あふれる子供」に共感して金髪や青い顔のこけしを製作し平成26年8月の「木地山系こけし展」に出品し若い女性に大変な人気であった。...
View Article「伝統こけしたち」
写真の右から 〔鳥匏蓮桜井昭寛工人作(1尺)。昭和26年生まれ。工人の代表作とも云える大賞受賞の永吉型。このこけしは菊模様で躍動感溢れる菊が舞い踊っている。 ◆ ̄鶸田系・佐藤保裕工人作(えじこ・9寸)。昭和35年生まれ。えじこには小寸のこけし、小えじこ、独楽が収まっている。精緻な作りに工人の心意気を感じる。こけしは広喜型。手慣れており完成度は高い。...
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写真の右から 〔鳥匏蓮Φ氾直“蝋人作(えじこ)。昭和29年生まれ。えじこの中に大小のえじことねまりこ、独楽が収蔵されている 。えじこにはピりカンナが掛り木地、描彩とも丁寧な仕上がりである。 ◆〔鐚O嵯蓮Π羮綵嫐す人作(4寸)。昭和30年生まれ。体調不良で暫く製作を止めていたが、改名し心機一転、オボコイ面描が心憎い。よかったですね。お母さまの井上ゆき子工人が懐かしいです。...
View Article高橋義一のこけし
鳴子系・高橋義一工人は、高橋勘治・盛・松子工人と続く高勘直系の工人です。高橋正子工人は姉にあたります。 昭和42年から高橋盛雄工人の下で修業を始め、現在まで高勘のこけしを継承して製作している。義一工人は勘治型・盛型・勘治一家のこけしを主に製作している。...
View Article作田隆の復活後のこけし
大正期に修行したが、木地の中断が長かった工人の一人、遠刈田系・作田隆工人。 明治33年3月、遠刈田温泉に生まれ、兄、作田栄利(明治31年7月生まれ)が吉郎平の処で年季明けをした大正5年に木地修行をを始め、こけしや玩具をかなり挽いた。(鎌田文市談)。 大正8年に栄利が入隊したので、その頃修行していた文市と共に仙台の三陸木材工場で働き、文市が大正9年末に白石に帰ると木地を中断して上京する。...
View Article伝統こけしたち
写真の右から ‥敕魴蓮荒川洋一こけし工人作(5寸)。昭和13年11月生まれ。岩本芳蔵に師事。原は旧蔵品成田嘉則コレクション(薬師温泉旅館展示)8寸。戦前芳蔵本人型を5寸に縮小、良い味を捉えた秀作。 ◆‥敕魴蓮Υ簓躓狙気海韻傾人作(6寸)。昭和23年生まれ。渡辺和夫に師事。昭和58年に修業を始め、昭和59年よりこけしを製作。埼玉県草加市に在住、佐久間系列型と本人型のこけしを作る。...
View Article弥治郎系・新山民夫こけし
弥治郎系・新山民夫こけし工人(昭和35年5月生まれ)は、新山左内(昭和55年5月没)、新山左京工人と続く新山家直系の工人です。 民夫工人は、昭和52年から新山左内・左京工人の下で修業を始める。 弥治郎こけし村内に工房「ぺっけ」を設けて新山家に代々継承される左内型・左京型こけし、木地玩具及び江戸独楽を製作・販売する。...
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