美人の部類に入るこけしとして評価されている大野栄治型を小倉篤と勝志が作ったこけし。
本来ならば、父の嘉三郎の草書体が篤の持ち味であり、栄治の楷書体は難しい。なかなか貴重です。
弥治郎系・小倉篤工人は、大正11年6月1日生れ、昭和43年10月1日47才で死去。20年頃までは嘉三郎型を多く作っていたが、次第に大野栄治の作風を目指し、36年頃は、栄治に匹敵する佳作が多いが嘉三郎風と栄治風の狭間で、苦悩していた。特に妻のフクヨさんが45年5月に亡くなってからは、今後の作風に苦しんでいたようである。
小倉勝志工人は、昭和22年11月、篤の長男として生まれ、昭和41年頃より冬場のみ父につき木地修行をした。初期の作品は、眼点が右側に流れる癖があり、未だ栄治型をゆっくり見ていないようだが、この頃は20~25年頃の栄治を参考にしたのか、まゆ、眼の描き方が似ているような気がする。篤がなくなる寸前のこけしのようです。
小倉栄治工人は、明治37年生まれ、大正14年嘉三郎の長女と結婚、昭和4年、北海道へ移住。職人気質で丁寧な仕事は、栄治を愛する収集家が多いこともうなずける。全体的にバランスがよく、首から胴にかけての曲線がなんともいえぬ美しさがある。頭の黒いのは、30~32年頃が、良く作られた。
【東京こけし友の会】吉田博人氏より。