山形系こけし工人 武田卯三郎(明治27年~昭和28年)(写真)。卯三郎の父は神尾長三郎の養子だった。養祖父・長三郎の薦めで倉治五男吉次に弟子入り。独立後は、天童に帰り久野本の神尾長三郎工場を助け、平岡安兵衛工人を弟子とした。やがて長三郎工場は、神尾敬三朗の弟・長八に任せ、米沢に移住し、織物工場を開業したという。こけしの松竹梅模様は長三郎より伝来のものである。写真と工人逸話は「こけし時代」を参照。
☆ 武田卯三郎の三男である武田正志工人(昭和5年産まれ)。17歳頃から父・卯三郎について木地挽修業。木地師の腕をいかして新型こけしや、自由に組み替えて遊べ、想像力を育むこけし「ナナちゃん」等、米沢ならではの知育玩具もつくる。写真のこけしは、武田正志のこけしです。