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Channel: こけしおばちゃん
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木地びなコレクション ②

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 東京こけし友の会・大原裕子氏より
 その当時こけしを集め始めて間もなかった私は、佐藤誠考工人からの寒中見舞いに描かれたひなもこけしの胴模様も取り入れていた。早速気に入り注文、英之工人作で白木の台、ぼんぼり等が一緒に送られて来た。そして一番多く収集したのは鳴子の工人だった。岡崎斉一、大沼秀顕、早坂利成、高橋義一、柿澤真理子、後藤皓、須貝國男、高橋輝行工人である。何組か買って入院していた友人に届けたりし、病室が明るくなったと喜ばれた。
 木地山の高橋雄司工人は東京でお会いしお願いすると「秋田に帰って文献をひもといて・・・」とのご返事。送られて来たのは裏に平成7年初作と書かれた素朴な立ちびなで良い記念になった。小野寺正徳工人の形の違った二組も素朴で良い。
 津軽の笹森淳一工人にお会いした時、描彩を相談したところ、牡丹絵に胸の部分のアイヌの唐草模様の中に笏と扇が自然に取り入れられた座りびなだ。阿保六知秀工人の迫力のある牡丹絵が浮き出ていてよい。又、三角の形をした今晃工人の可愛い小さなひなも右手にはちゃんと笏が書かれていて素朴なものだ。
 その他には石井信明、田中恵治、志田菊宏、高田稔雄工人作もある。高岩寺の東北復興支援で昨年参加した早坂政弘、日下秀行工人にもこけしの胴模様、重ね菊を実演の合間に作っていただいた。
 今年に入って購入した櫻井昭寛工人のひな。鳴子に行くたびお店を訪問、同じ描彩のちがったフォルムのひなを友人とみたりするのも楽しいひと時だった。何組か揃ったので昭二工人が「ひいな」と呼んでいたたちびなをお願いしていたら、顔を変えて二組の「ひいな」と黄色の胴の座りびなが届いた。帯の位置が昭二工人のものより少し下の様だ。櫻井工人親子の「ひいな」が揃った。(写真)
 今回例会ギャラリーでこけし絵が入ったものにこだわって集めた約40組の木地びなを取り上げたが、改めてここで一度立ちどまり、違った形式のひなを展示会等で見てみようと思っている。以上。

第41回 秋田県こけし展

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 こけし友の会会長・橋本永興氏報告
 平成29年2月11日(土)・壱弐(日)の二日間、秋田県湯沢市湯沢生涯学習センターで開催された。 
 私は11日早朝、大雪の予想、予想の山形新幹線で東京を発ち新庄経由で奥羽線に乗り換え無事午前中に湯沢に着いた。今年は例年より雪は少ないとは言え、雪景色を見られたことは嬉しかった。
 会場に着くと早々三春文雄工人を見つけて挨拶。今年の入場の番取りは当日雪の深夜午前1時から並び二人目が3時頃、会場前に整理券90枚を配ったと聞いた。会場は犬っこまつりの会場に隣接して一般入場者も良いようだ。
 会場奥にはコンクール受賞作を陳列していた。今年は18名のこけし工人が出品、コンクール受賞者は、秋田県知事賞・三春文雄、湯沢市長賞は阿部市五郎、秋田県魁新報社賞・北山賢一、河北新報社賞・佐藤達雄、朝日新聞社賞・柴田良二、毎日新聞社賞・小野寺正徳、読売新聞社賞・本間功であった。
 写真△蓮∪仟型で少女の愛らしい表情と着物の輪郭を描いた線、独特の密集した絣と花模様は石蔵の世界を良く表現していた。 
 会場奥左のガラス棚に沼倉孝彦工人の蒐集した今晃の初期のものから現在までのこけしが陳列され、系列的に置かれ分かり易く、蒐集の醍醐味を感じさせる企画展であった。毎年受賞作品と共に楽しみにしている。
 こけし絵付けに挑戦したが、思うように描けず、仕上げのロウを小野寺正徳工人が塗ってくれた、良いお土産になったと大切に持ち帰った。以上。

伝統工芸品展 WAZA 2017

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 例年この時期に開催される伝統的工芸品展が2月16日から21日まで都内の百貨店で行われた。
 「暮らしに寄り添う、ニッポンの美」と副題がついた展示・販売は染色・陶磁器・漆器・木工品・仏壇仏具から人形・こけしまでの伝統的な工芸品を集めた展示・即売会です。
 最初に訪れたふるさと工芸品コーナーには木地山系こけし工人のこけしが展示・販売されていたが既に人気工人のこけしは見ることが出来なかった。「木地山」と大きく描かれたハッピを着た三春文雄工人とお会いできた。(写真 
 島根県コーナーでは鳴子系の松谷伸吉工人がお雛様の描彩を実演していた。伸吉工人は出雲市で工房兼店舗「吉や」を営んでいる。展示・販売はお雛様と五月人形で残念な事にこけしの販売はなかった。(写真◆
 人形・こけしコーナーには弥治郎系の新山吉紀・真由美工人が各種こけしとお雛様を大きなスペースに展示・販売していた。(写真)
 最近、弥治郎系の若い後継者が出てきた事にお二人も大変喜んでいた。以上。

「慶明こけし」

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 「慶明こけし」東京こけし友の会 中野榮路氏著より
 私は、宮城県白石市出身の妻と結婚以来の四十五年が収集歴となります。白石工業高校の教諭である妻の叔父からいただいて来た数本のコケシだったが、今や佐藤慶明コケシを追いかけるコレクターになりました。
 安直に考えれば、妻の実家とそう離れていない工人の作業場が収集の基本になっていて、帰省の時に立ち寄り、年に数本の購入が長年になり、年次系列とすれば立派な道楽者に転落していた次第です。小遣いもあわせて少なく、物故人のコケシを買わないと心に誓っています。妻の実家への帰省を兼ねて弥治郎に
目を付けました。慶明コケシは沢山の型が系統的にありますし、木地挽きも上手で、工人の年代変化も多いのです。工人は無口ですが、数年前他界された奥様は、お多福さんの様な愛嬌の良い人で何でも話してくれました。初対面で惚れた工人さんです。慶明さんは闘病中と聞きますが、後進の指導と共に末永くコケシづくりに励んで欲しいと願っています。
 今年の新年例会には、慶明弟子の高田稔雄さんが参加してくれました。私は懇親会にも出席し、その後二人で飲みました。以上。
 ※ 弥治郎系こけし工人・佐藤慶明(昭和11年生れ)は、昭和27年から32年まで兄・佐藤辰雄に弟子入りし、今三郎、幸太型をつくり、華美で木地描彩共に優秀で人気が高い・
 私は35年前に、四国松山のデパートに、慶明工人が招待工人として来られていた時から、すっかり魅了されました。それ以来、優しい奥様との交流が続き、奥様の入院された時も、四国松山からお見舞い行きました。大好きでした。慶明工人は、お兄様の辰雄工人そっくりの綺麗でいいこけしを作られています。
我が家には、200本くらいは並んでいます。お元気で頑張ってほしいです。そして、お弟子さんの高田稔雄工人は、今年の全日本こけしコンクールにて総理大臣賞を取られたのです。良かったですね。

「こけし収集」

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 『こけし手帖』東京こけし友の会・中野榮路氏著より
 収集はインターネットオークションを使用して入手しています。品物を入札して落札できるまでのワクワク感は、一種博打のようで「入札価格が適正であったか」とかで、丁度競輪競馬と同じです。落札後から手元に入るまでの約一週間が恋人とのデート時間を待つ様な待ち遠しい時間で御座います。手元に届いたこけしの顔を見ると、画像のこけしと違いが無く、自分の眼力に感心しながら「おうおう、嫁いできた」という気持ちになり、思わず頬ずりしてしまうのです。良い色合いの有色材だったりで、頬ずりも一塩になります。
 妻の実家宮城にも行けず、暇の多い時間こそネットに電源を入れてしまうのです。
 私の蒐集は、好きなら良い、誰の作品かなど詮索するのは研究の好きな方々に任せればよい。美術品とかいう高尚な物でなく、子供の玩具を大人が取り上げて楽しんでいるのですよ。単純に「スキ」一言なのです。
 昔は経営の形態も各工人が○○木工所に所属して、木地を挽いていたのだから、誰が作ったなど決められたものでなくて、木地挽きの上手い人がいて木地を挽き、描彩の上手い人が絵を描くという流れがあったはず。集団で雑談しながら作業をしていたと想像する。いや、そんな生易しいものではなく、生活がかかっていたのでそんなことないかもし知れない。木工所が無くなり、現在は家内工業で木地・描彩を一人でこなしている。
 旅行時には「こけし持参撮影」の旅を慣行している。特に、海外での撮影写真は、工人に見せると大変喜んでもらえました。使用後のこけしは現地の方に差し上げてしまうので、「私の慶明」が各地に散見される訳だ。とっていいのは写真だけ、持ってかえるのは思い出だけ。このような方式をお楽しみください。以上。

あとりえ樹々 こけし展

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 平成29年2月1日から25日までの水曜日と土曜日にJR青梅線「東中神」駅に近い「あとりえ樹々」で橋浦廣吉(1921-2013)氏のコレクションの中から鳴子系こけしと仙台在住であったこけし工人のこけしを選んでの展示がありました。橋浦廣吉氏は仙台で生まれ東北帝大(現東北大学)を卒業され、秋田大学で研究生活を送られたと聞いています。
 こけしは学生時代の仙台と秋田で蒐集されたこけしで木地山系が一番多いと聞きました。特に阿部平四郎工人とは懇意にしていた様です。
 こけし展はご子息の橋浦裕氏が保管している父のこけし300本のなかから平成26年には第1回目の木地山系こけしトリビュート展を開催しています。
 今回は2回目で戦前のこけしを含めて約80本のこけしと武井武雄の版画「こけし図譜」を展示されていました。
 展示こけしは秋山耕作・秋山忠・秋山忠市・伊藤松一・大沼岩蔵・大沼君子・大沼新兵衛・大沼誓・大沼秀雄・小松五平・岡崎斉司・岸正規・櫻井こう・櫻井昭二・櫻井万之丞・佐藤一夫(鳴子・南部系)・佐藤末吉・高橋松子・庄司永吉・高橋盛・高橋武男・高橋定助・高橋武蔵・滝島茂・松田初見・森谷和男・遊佐福寿・後藤皓・鈴木清・軽部留治・佐藤勘内・渡辺求・佐藤巳之助・里見正雄・鈴木昭二・海谷周松・相沢美代子工人及び不明こけしです。
 戦前のこけしを含めて保存状態も良く貴重なこけしも有り見応えのある素晴らしい展示でした。
 東京こけし友の会・田中厚志より
 ※ 素晴らしいこけし達、ここまでに蒐集は難しいのではないでしょうね。














  

「高田稔雄こけし」

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 弥治郎系・高田稔雄工人は、長い間会社員として仕事をする傍ら趣味として伝統こけしの蒐集をしていた折、各地のこけし工人を訪問しているうちに自らこけしの製作に興味が湧き、平成26年7月から白石市のこけし工人育成事業を受ける事になり、弥治郎こけし村で修業を始める。佐藤春二工人のこけしが好きで以前から佐藤慶明工人に師事したいと思っていたが、その思いがかない師匠と決まった。
 平成28年3月末より正式にこけし製作する事が出来るようになる。
 平成28年5月、東京こけし友の会例会で六寸慶明こけし頒布したが、底に「初作」と記載されている。
 写真のおみやげこけしは10種類です。幸太型1種類・慶明型9種類です。
 写真の右端は幸太型、右2番目から10番目は全て慶明型襟付きです。右2番目から直胴に赤のロクロ線と菊、地蔵型にロクロ線、髭にロクロ線と菊、はらみ型にロクロ線と菊、直胴三種類、枯れ胴にロクロ線と菊、左端は細胴枯れにロクロ線と菊です。
 高田稔雄工人は、薬師の湯の側に工房を得て日々こけしの研究と製作をしています。此れから大きく飛躍する工人として楽しみです。
 ※ 師匠の佐藤慶明工人は、今闘病中ですが、師匠として高田工人を見届けることは、すごく嬉しいです。3年前に亡くなられた奥様が、、、、いらっしゃったらと思います。

中ノ沢系「タコ坊主」

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 『こけし手帖』676号「例会ギャラリー」より。田村弘一氏より。 
 私が初めて”タコ坊主”のこけしに目に止まったのが、当時高円寺北口商店街の中程に有ったこけし店”ねじめ”でした。そこで入手したのが瀬谷重治さんのこけしで、それは昭和44年(1969)10月の事でした。翌年の昭和45年(1970)には柿崎文雄さんのこけしを東京こけし友の会の頒布で入手しました。荒川洋一さんのこけしは昭和47年(1972)になってやはり東京こけし友の会で入手しました。
 当時は第二次こけしブームの始まりで”タコ坊主”の工人さんが一時期には11人にもなり色々なタコ坊主が楽しめるようになりました。
 本題の荒川さんは昭和13年(1938)福島県湊町(当時は湊村)の生まれ。一時期横浜市鶴見区に引越しますが昭和20年になって再び湊町に戻って、昭和21年には父親が農業を始めます。昭和35年(1960)に神山木工所に弟子として農作業の暇をみて通い、ロクロ技術を習い始めます。昭和45年(1970)に中ノ沢の岩本芳蔵さんのこけしの模作を始めます。(写真)
 今回ギャラりーをやるに当たり荒川さんに御手紙を差し上げ色々とご教示を頂きました。それによると昭和47年(1972)の正月、師匠と一緒に横浜と東京のデパートに同行し初めて実演をするわけですが、その時東京こけしの世界のきびしさに頭をたたかれる程思い知らされた様です。
 そこで地元戻ってから師匠に「親方のこけしを遡ってみたい」と話しを切り出したところ、答は「よかっぺ、だけんじょ、大変だぞ」と言われたそうです。この芳蔵親方の言葉は、今も切々と思い出し本当のこと有難く思い出しますと言われています。それで一生懸命善吉型の研究をしこのこけし達が出来ました。荒川洋一工人のタコ坊主こけしです。つづく。  

中ノ沢系「タコ坊主」

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 つづき
 この年昭和47年に東京小金井の収集家の都築さんが善吉の古作の小寸のものを持って来られ、各種復元作が東京こけし友の会で頒布されます。
 同年再び都築さんがいまは故人になられた、郡山のタコ坊主工人、渡辺長一郎さんの自宅に武井武雄作のこけし版画集”愛蔵こけし図譜”の善吉の版画を持って来られ、同席した荒川さんがそのこけし絵の復元を頼まれて出来たのが写真,任后
 現物のものは皆様ご存じの様に、池袋の自宅がこけしもろとも戦災に遭い有りませんので、唯一版画が頼りです。大変よく写されており好きなこけしのひとつです。そのなかの小寸三寸のものが昭和48年(1973)に鳴子の”全国こけしまつり”で入賞します。
 以来すばらしいこけしが作られ、その努力のおかげで平成11年(1999)に”第45回鳴子の全国こけし祭り”で文部大臣奨励賞を、同年の”第19回みちのくこけしまつり”では農林水産大臣賞を受賞しました。
 最後にこけしの胴底のサインで荒川洋一さん作の製作年代が分かりますので参考になると思います。
 以上。東京こけし友の会・田村弘一著より。

「梅木直美こけし展」

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 「第16回山形物産展」が横浜高島屋で5月31日(水)~6月6日(火)まで開催され、蔵王系こけし工人梅木直美工人が参加出展した。
 梅木直美工人は今回で5回目の出展になる。毎年の成績が良いのか会場入口近くの良い場所に展示ブースが作られていた。(写真 
 ブースには障子の木の格子をセットし、こけしの棚を上手に付け、女性の繊細さと木の温もり感じさせるレイアウトであった。
 (写真◆砲惑潴敖照人の最新作6本で、右は父修一の岡崎長次郎型の復元で首元の模様と斬新な前髪が特徴。中央は長次郎の重ね菊。左はペッケで6寸は初めての作。以上、東京こけし友の会の会長・橋本永興氏の報告。
 ※ 蔵王系こけし工人・梅木修一(昭和4年生まれ)は、昭和21年、金山文太郎より木地学を学ぶ。昭和31年独立。32年より本人型を発表。52年より岡崎長次郎型を研究して発表。好評を博して第一人者になって行った。平成27年3月11日、会田栄治工人(昭和4年~平成27年、享年85歳)が亡くなられ、すごく残念に思っている。両工人とも、工房を訪ね、我が家の梅木修一工人の昭和38年作の5寸こけしをお持ちしたら、すごく懐かしんでくれたことを思いだす。梅木直美工人の活躍はとてもうれしいこてですね。

うつくし こけし展

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 東京こけし友の会の会長・橋本永興氏報告より。
 JR中央線西萩窪駅近くの伊藤ちえさん(当会会員)が店主の「紅茶とこけしの店・西窪イトチ」で6月14日(水)~7月2日(日)まで「うつくし こけし展」ガ開催された。
 その趣旨の一つは、最近の第三次こけしブームも平衡状態の様に感じ、東京こけし友の会の発展を願い、初心者の方々に11系統こけしを紹介するため、こけしを展示し実際に見て触ってもらう。勉強会も開催、伝統こけしの基本の解説をした。講師は目黒一二三幹事が担当した。後日談であるが初心者に分かりやすく説明する事の勉強になったと聞いた。
 店内は新品こけしが壁の棚に飾られ、鑑賞しながら気に入ったこけしを買うことができる。伊藤さんは元々郷土玩具の蒐集家で双方に造詣の有る方で、これからもこけしイベントを企画してこけし愛好家の集う場所になることを願っているとの事。以上。写真はこけし勉強会の風景です。

「第6回 下谷こけしまつり」

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 6月16日(金)~18日(日)まで「挽物玩具・ねぎし」にて、5人の工人による展示即売会が行われた。
 今年で6回を迎え、こけし愛好家に浸透し、開始前にたくさんの愛好家が列をつくった。
 写真は、右より弥治郎系・新山吉紀工人、鳴子系・大沼秀顕工人、弥治郎系・新山真由美工人、作並系・平賀輝幸工人、土湯系・阿部国俊工人。津軽系・本間直子工人は都合で参加出来ず、こけし販売のみとなった。
 作品は各工人とも伝統性を追求しながらも、新しい試みをしようと、伝統性を保ちながら色々と模索していることがうかがえた。
 写真△蓮⊃兄概筏工人の作。中央は2尺、弥治郎の古品をイメージして作った。胴は上下2本を繋いでいる。左下は佐藤喜一型に次ぐ新しい系列の作で新鮮さを感じる。今後、工人が少なくなる中、原作者の了解が得られれば、新しい系列に出て行く事も、伝統を守るためには必要ではないだろうか。
 写真は、平賀輝幸工人の平賀謙蔵型である。伝統を重んじ忠実に再現している。新しい伝統性を考案しながらも古品の良さを守っていることは好感が持てる。以上。
 東京こけし友の会・会長・橋本永興氏の報告です。

「星定良「」のこけし

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 弥治郎系こけし工人・星定良(昭和31年生まれ)は、兄・星博秋工人の元で昭和56年頃に木地修業を開始し、昭和58年頃よりこけしを製作しているこけし工人です。
 弥治郎集落にほど近い小原温泉には、「小原こけし」と呼ばれる独特の表情を持ったこけしが生まれました。
 本田鶴松が生み出した小原こけしは、アクセントの強いうねり眉と上まぶた、くっきり丸い頬紅などの大きな特徴を持っています。定良工人の師匠である博秋工人は、鶴松の子である本田亀寿の元で修業し、小原こけしを継承しています。
 写真は定良こけしの4種類で、右から白胴のくびれ型、黄胴のくびれ型、白胴の直胴型、黄胴の直胴型、いずれも赤と紫を用いた巻き絵の帯を締め、頭にはカマボコ型の飾りとベレー帽という弥治郎の特徴を備えています。デフォルメされた目と眉が特徴的な愛らしい出来栄えである。
 近年、小寸や蓋物なども製作し、各地のM釣りにも参加するなど新たなファンを獲得している定良工人。数少ない小原こけしの継承者として今後ますますのご活躍を期待いたします。
 ※ 数年前、全日本こけしコンクールに参加した時、こけし仲間から、星定良工人は、人気が出るから求めておいた方がいいよと言われた。その時もとめた星定良こけしは、我が家にあります。その時は、伝統こけしの様に思えなかったが、、、、、。人気が出てきたのですね。

「2017・地梨の会」

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 第22回となる地梨の会「囲む会」が6月12日に肘折温泉の旅館「元河原湯」で行なわれた。会員15名に招待の高橋正吾、鈴木征一、本間直子、梅木直美4工人。3時に宿に集合して早速鈴木征一工人を訪問。ご夫妻に迎えられ地元の山菜のおもてなし、店の(優れた中古)こけし棚のこけしを品定めして購入するなどこけしと会話を楽しみました。
 宿に戻り、恒例の表彰式。20回参加の会員3名に高橋正吾工人作の胴模様一面に記念の20の花が描かれた尺5寸のこけしが、15回参加の2名には同様に同様に15の花の描かれた鈴木征一工人の象篏入りの1尺が、会を主催する渡邉氏ご夫妻から授与されました。
 特別頒布品のこけしは、本体鈴木征一工人の尺3寸、胴には参加4工人の二寸こけし11体がはめ込まれた”曼陀羅”こけし(写真)見事な作品です。参加工人への注文頒布のこけしを受領して、最初の楽しみは終了しました。
 「囲む会」は午後6時からはじまり、今年米寿を迎えられた会の拠りどころ高橋正吾工人にお祝いを差し上げて、招待の工人を囲み楽しく歓談しました。囲む会のお楽しみの一つは招待工人提供のこけしが当たる福引です。それぞれ盛り上がり工人から手渡されたのです。
 翌日は朝5時半からの肘折温泉の風物詩「朝市」に出かけて、蕨など山菜を主とする買い物を楽しんで、朝食の後、鈴木征一工人の先導で、宿を出立して羽黒山神社を参詣しました。お昼は麓の宿坊で出羽三山精進料理に舌鼓、午後1時過ぎに1年後の「秋ノ宮温泉」(秋田)での再会を約して散会しました。
 以上、東京こけし友の会、会員・渡邊格氏報告より。 
 ※ 私は”肘折温泉”の鈴木征一工人こけしが大好きなので、各会場の招待工人として来られていた時「ぜひ工房を訊ねます!」と話していたのにまだ、まだ訪ねていません。ぜひ行きたいでね。

こけしたち

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 写真右から 
  〔鳥匏蓮松谷伸吉(4寸)
  昭和31年生まれ。こけしの製作量は少ない。鳴子系の伝統を守って、各種の本人型を作っている。
 ◆ ̄鶸田系・佐藤すみえ(5寸)
  昭和24年生まれ。静助型を継承している数少ない工人。女性工人らしく顔の表情はやさしい。  
  土湯系・野矢里志(6寸)
  昭和53年生まれ。善吉型。平成28年からこけしを製作。こけしの経歴は浅いが、大変良く出来てい   る。今後の活躍が楽しみ。
 ぁ〔效六碍蓮Πど市五郎(6寸5分)
  昭和20年生まれ。石蔵型で最近人気のある徳利型である。丁寧な描彩で表情も良く、素晴らしい出来  である。石蔵型を良く研究している。
 ァ〔鐚O嵯蓮新山吉紀(6寸)
  昭和35年生まれ。栄治型。きりっとした表情で花模様も手馴れている。栄治型をよく研究しており
  、優秀である。
 Α〇碍膳蓮δ甲川正司(4寸5分)
  昭和12年生まれ。吉太郎型。年齢を感じさせない力強さがあり、完成度の高い作品。他にくびれ胴で  オカッパ頭の本人型もあった。
 ※ こけしファン私も、未だ知らない工人のこけしは多いのです。系統や各工人の型で判断すると、我が家にも多く同じ系統のこけいが多く並んでいます。

長谷川健三のこけし

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 津軽系・長谷川健三工人(昭和17年生まれ)は、大鰐の長谷川辰雄工人の三男として生まれ、昭和51年頃より父の元で木地修業を開始し、現在弘前の「津軽藩ねぶた村」にてこけしの実演・製作を行っている津軽系こけし工人です。
 高校卒業後すぐに製材所で木工の技術を身につけ、木地挽き修行の際には本田功工人より鳴子式の立ってロクロに向かうスタイルを学び、こけし製作開始後もねぶた村での独楽の実演製作を通じて、海老名の江戸独楽作家、広井政昭に師事するなど、積極的な活動が知られる工人です。
 写真のこけし5本は、右から黄胴に赤帯を締めた辰雄型、あやめを描いた辰雄型、津軽の菊を描いた金次郎型、ボタンを描いた金次郎型、鯨目が特徴の彦三郎型です。
 いずれも父・辰雄の作り上げた大鰐のこけしを小寸に表現した、素晴らしい出来栄えのこけしです。
 近年は東京や京都で行われた催事にも招待され、息子の優志工人と共に人気を博しいます。大鰐を代表する工人として今後ますますのご活躍を期待いたします。
 ※ 我が家のこけしは、父、長谷川辰雄こけしがほとんどです。京都まで来られているのですね。行ってみたいです。以上。

新山匠太のこけし

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 弥治郎系・新山匠太工人は、父・新山吉紀工人、母・真由美工人の弥治郎系工人一家の長男として生まれました。幼い頃より両親の仕事を見て育ち、こけし作りは身近な存在だったようです。自動車関連の会社に就職しましたが、同世代の弥治郎系若手工人に刺激を受け、平成24年頃より両親の元で本格的に木地修業を開始し、平成27年弥治郎こけし工人会より正式に工人として認められた弥治郎系こけし工人です。
 写真のこけしは4種類で、右から青いベレー帽をかぶった本人型、くびれの福雄型、直胴の福雄型、喜一型です。本人型は色使いも今様でベレー帽の大きな顔が愛らしく、福雄の伝統型はぺっけとして完成された中にいきいきと若さが漲(みなぎ)ります。喜一型小寸は今回が初挑戦とのことでどちらも大変好評を博しました。
 デビューから数年が経ち、新山家の伝統を深く受け継いだ作柄に新しい挑戦も加わって、ますます目が離せない匠太工人。
 新鮮な感覚を活かし、色彩豊かな弥治郎系のこけしをより一層盛り上げていただきたいと期待しております。
 ※ 我が家のこけしは、匠太工人のおじい様・新山吉太郎工人のこけしが並んでいます。時代を感じます。こけしファンにとっては、手元に置きたい匠太こけしになります。

「犬」の付く地名(愛媛県)

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 今年・2018年は戌(いぬ)年。我が「愛媛県」には確認できるだけで「犬」が付く地名が8か所あった。全国ではどうでしょう?。 
 専門家によると、犬の付く地名は、犬の姿に似た地形や、「いの」と発音されたことからイノシシを意味するなどさまざまな由来が考えられる。
 伊予市中心部と旧中山町をつなぐ標高約300辰痢峺ご鸚米宗廚砲鰐松里砲泙弔錣訶狙發残る。地元の史料によると、かつて松山と大洲の両藩を結ぶ峠に夜中に差し掛かった一人の飛脚が、一匹の山犬に襲われ刀で切った。山犬の最期の鳴き声を聞いた多くの仲間が襲来。飛脚は松の木に登ったが、山犬は諦めない。そこで鶏の絵が彫られている刀の柄(つか)に犬の血潮を付けて神に祈ると、刀から「コケコッコー」と高らかな鳴き声が響き、夜が明けたと勘違いした山犬は逃げて行ったという。
 現在は、トンネルが抜け、高速道路もでき、もう犬寄席峠を通ることは無くなったが、昔は、すれ違った車からうどん箱が落ちたりして、道路もかなり悪かったのです。懐かしい「犬寄席峠」ですね。
 今治市の「犬塚池」にも言い伝えがあり、ほかに、西予市との市境にある大洲市の「犬掛け(いぬかけ)」は行政区や小字などではないが、大洲市によると地元では通称として使われているとのこと。
 松山市の興居島にある「犬吠山」は「潮騒の音が犬の遠ぼえに聞えたのでは」とか。  
 ※ 県の形状が犬に似ていると言われる愛媛。今年は各地区のさまざまな「犬」に出会う旅に出かけてみたいですね。

こけしたち ㈠

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 伝統こけしには、各系統があって、各工人によってさまざま(いろいろ)なこけしが作られている。
 写真の右から
  〔鳥匏蓮櫻井昭寛工人作(1.07尺)岩蔵型。昭和26年生まれ。父は木地描彩ともに抜群の鳴子の代表的工人の一人。昭和45年、父のもとで修業、47年より描彩をはじめたが、父、昭二によく似た綺麗で上品なこけしを作る。岩蔵型と祖母・コウ型を継承していいる。昨年の全日本こけしコンクールで大賞を授賞した作。素晴らしい安定感と胴模様です。
 ◆‥敕魴蓮Πど国敏工人作(1尺)治助型。昭和47年生まれ(若い)。平成4年5月に、父、敏道、陣野原幸紀工人につき木地修業。平成5年5月よりこけしを製作。代々続く治助型を守り、素朴なこけしを作っている。昨年の鳴子こけしコンクールでの大賞作。治助を彷彿とさせる出来栄えである。
  木地山系・三春文雄工人作(6寸)久四郎型。昭和29年生まれ。昭和59年より小野寺正徳工人につき修行を始め、63年よりこけしを製作している。昨年、久四郎型製作の許可を得て製作した初作。素晴らしい出来栄えである。
 ぁ〔效六碍蓮沼倉孝彦(6寸)石藏型。昭和28年生まれ。川連木地師、佐藤達雄につき修行、平成17年よりこけしを製作している。昨年のみちのくこけしまつりで石藏型で入賞し、石蔵型には定評がある。
 ァ∥王系・阿部進矢工人作(木地玩具)。昭和12年生まれ。父、常吉につき木地業に専念、こけしを発表したが、驚くべき長足の進歩を示し父に孫色のない佳品をつくっている。木地玩具のだだっこ、のんきな父さん、鳥、親子だるま、機関銃などあり大変楽しい。流石に素晴らしい出来栄えである。
 Α”折系・吉野誠二工人(えじこ)本人型「石橋」。昭和25年生まれ。他に「八つ橋」。昨年のみちのくこけしまつりで大臣賞を受賞している。
 

こけしたち (二)

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 伝統こけしの各系統の工人の作るこけしはさまざまです。夫々の魅力があります。
 写真の右から
  〇碍膳蓮小林清工人作(6寸孫持ち・髷孫持ちこけし)。昭和26年生まれ。父は山形系こけしの第一人者・小林清次郎工人。昭和51年より木地修業を始め、55年よりこけしを製作している。木地技術に定評があり、孫は「笛」になっていて手の込んだ作りである。
 ◆‥敕魴蓮μ鄰六圧子工人作(3.5寸・鉄兜とシルクハットの二種類)。昭和32年生まれ。父、野地忠男工人から受継いだ三起子工人。「赤」がマッチした小寸こけし。最近は意欲的にこけし製作をがんばっている。
  蔵王系・阿部進矢工人作(4寸・帽子に重だるま胴)。昭和12年生まれ。父、常吉につき木地業に専念、こけしを発表。他に各種の帽子こけしを作り、大変楽しい大人気の小寸こけし。
 ぁ ̄鶸田系・早坂政弘工人作(4寸お雛様)。昭和36年生まれ。昭和52年より佐藤正廣工人につき木地修業、平成3年よりこけしを製作している。華やかな描彩に遠刈田系の重菊を配した小寸雛。手元に置いて祭りが楽しみな一組。
 ァ‥敕魴蓮荒川洋一工人作(7寸・千代五郎型ワンピース)。昭和13年生まれ。昭和35年、岩本芳蔵・神山登(神山木工所)にて木地修業を始め、46年よりこけしを製作している。他にマントと三色ダンゴ。流石に素晴らしいい出来栄えである。
 Α〔鐚O嵯蓮高田稔雄工人作(6寸・幸太型)。昭和48年生まれ。他に慶明型。子守こけし・えじこ。弥治郎系の佐藤慶明工人につき、昨年の3月デビューしたばかり。将来が楽しみです。
 А〔鐚O嵯蓮ι拂様街瓠工人作(6寸・喜三郎型。他に赤梅胴・直胴・枯れ胴)。平成4年生まれ。弥治郎系、新山吉紀・真由美工人につき修行。弥治郎系の新星。今後の飛躍に期待。
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