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Channel: こけしおばちゃん
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小野川温泉、白布温泉

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 (こけしと温泉)
 よねざわ、おぐに、いいで、秘湯探訪の案内をもらい早速米沢八湯でもある小野川温泉、白布温泉へ出かける。
 平成27年3月28日(土)東京11時の山形新幹線つばさ135号で米沢へ。車窓から見る雪化粧の安達太良連峰が美しい。米沢から送迎バスで小野川温泉へ。小野川温泉は1200年の歴史を持つ小野小町由来の温泉で美人の湯とも言われている。泉質は硫化水素、ナトリュウム、カルシュウム、塩化物泉で温度はかなり高い。 
 ここには以前、岡崎直志工人がおられた。私の好きな工人の一人であった。温泉街の中ほどに共同湯の泥湯があって、その裏側に薬師堂がある。子供の無病息災を祈り、こけしを奉納するようになった。今でもたくさんのこけしが奉納されている。現在、蔦文男さんがおられるが、こけしは全く作っていない。工屋で独楽を作って米沢独楽と称して販売されている。小野川温泉の入口にある「つたや」という土産物産「赤とんぼ」というスナックを経営されている。
 3月29日(日)、宿からタクシーを頼んで白布温泉へ40分程の行程、どんどん高度を上げていく。雪が深い。白布温泉は古くから奥州三高湯の一つとして知られている。標高800メートルに位置する700年の歴史ある温泉で、泉質は硫黄、カルシュウム、硫酸塩泉。ここにも以前私のひいきの新山慶美工人がおられた。華麗なこけしで私の大好きな工人の一人であった。こけしの他に笹野彫のお鷹ポッポが有名。今でも作者が現存して製作している。宿にもこのお鷹ポッポがと並んで新山慶美工人のこけしが数本飾られていた。(写真は新山慶美のこけしです。)
 3月30日(月)、米沢へ。米沢物産館で、米沢の長谷川正司、武田正志両工人の一尺を購入した。米沢駅より山形新幹線つばさ号に乗車、夕刻帰宅した。今回数十年振りに小野川温泉、白布温泉を訊ねたが、小野川温泉は宿十数軒程減少、白布温泉は4軒のみで以前から見ると寂しくなった。以前は土産物店こけし工人の店も幾つかあって賑わっていたように記憶する。以上。こけし友の会・春日寛司著より。

今日は二十四節気の「霜降」

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 超大型の台風21号は温帯低気圧となって日本を去ったが、今日は二十四節気の霜降。金木犀は、先日からの雨で散ってしまったが、近所のイチョウ並木が黄色に染まり始めた。
 これからは日ごとに気温が下がり、冷気に促されるように、木々の葉が美しく彩られていく。どこでも見掛ける身近な木、イチョウ。しかし意外にも、絶滅危惧種なのだという。恐竜の時代に大繁殖したが、気候変動などでほぼ全滅。今はもはや自生することはなく、挿し木などで育てられている。約2億年もの地球の歴史をくぐり抜けた命は、人の手で守られてこそ生き続ける。わが家の近くのイチョウ並木には、350本以上のイチョウの木。一番の季節感を感じる。見事です。
 昨日、栗を頂いた。栗はゆがいて頂くが、昨日は、皮をむき澁皮をむいて、栗おこわを作った。懐かしい栗おこわ。近所に配って喜んでもらった。
 衆院選は終わった。また新たなスタート。政治の動きに目をこらし、議員の言葉に耳を澄ましたい。納得いかないことにしっかり声を上げられるよう、映像でも身近な集まりでも憲法や政治を共に学びたいと思う。民主主義も、憲法も丁寧に育ててもらいたいと思うのです。

東西こけし展巡り 

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 年始めからTVでこけしの特集番組が放映されるなど、こけしに注目が注がれる昨今、西の名古屋と東の千葉で相次いでこけし展が開催されたので出掛けて来た。関東地方のこけし展にはちょくちょく顔を出すものの、流石に名古屋のこけし展を見に行くのは今回が初めてであった。
 平成27年3月5日から始まった名古屋東急ハンズの催事には大沼秀顕さんが実演を兼ねて出演しており、色々と話しを伺った。秀顕さんの名古屋出演は3年前からで、今年は鳴子系以外のこけしも揃えて内容を充実させたとのこと。そのせいもあってか、初日には開店前から行列が出来るほどの盛況さで、早々に品切れになるこけしもあったそうだ。写真は大沼秀顕工人です。
 一方、3月18日から始まった千葉の催事は「宮城県の物産と観光展」の一環であり、毎年柿澤是伸さんが出演するので、是伸個展のような色彩がある。毎年新作の出展もあり、是伸さんのファンにとっては楽しみな催事である。会期は一週間とたっぷりあり、最終日の一日前にも寄ったところ、8割方のこけしは既になくなっていた。写真は是澤是伸工人です。
 両こけし展とも毎年恒例の催事となっており、こけし愛好家ににとっては嬉しいことである。それぞれ特色のある催事になっており、今後どのように継続・発展していくのか注目される。
 以上、こけし友の会・国府田恵一氏著より。
 ※ 数10年前には、四国松山のデパートに「東北物産展」が、10年近く続いて催しされ、弥治郎系こけし工人が来られていました。わが家のこけしは、弥治郎系こけしが多く並んでいます。最近は全然来られていません。寂しいことです。

大沼秀則こけし

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 鳴子系こけし工人・大沼秀則工(昭和34年生まれ)は、大沼誓・力工人と続く高勘系を継承する鳴子系の中堅工人です。昭和53年より父、大沼力工人の下で木地修業を始め、高勘系を継承したこけし製作を行う。
 父で師匠の力工人は全国こけし祭名誉工人、みちのくこけしまつり無審査工人の鳴子系の名工です。  秀則工人は日本こけし館で実演を行っています。また、全国こけし祭りの際に会館でお会いしている人も多いのではないのでしょうか。
 最近の第59回全国こけし祭り(平成25年・鳴子)および第56回全日本こけしコンクール(平成26年・白石)で入賞する程の技術・技能・経験共に卓越した工人です。
 写真は、こけし友の会の例会おみやげこけしです。写真は立ち子五種類です。面描は全て一側目・猫鼻・二筆の紅口です。右から胴模様が牡丹くずし、二番目は楓模様です。真中は二段のの桔梗、四番目は桔梗です。左は菱菊です。 
 どれも愛らしく身近に置いて楽しみたいこけしです。
 祖父、誓工人。父、力工人と素晴らしいこけしを残し鳴子系を代表する工人として今でも蒐集家の間では羨望のこけしです。今後も高勘系のこけしを高めて下さい。
 ※ 父、大沼力工人は、昭和2年生まれ、昭和20年より父、誓工人について木地を修業した。大変ふくよかな感じのする情味のあるこけしで、非常ににんきがあった。

二代目浅之助(渡辺和夫工人)の小寸こけし

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 『こけし手帖』平成27年7月号 654号「例会ギャラリー」より。
 渡辺和夫工人は土湯湊屋系列の浅之助・由吉・芳衛・芳雄と続く工人です。
 昭和40年頃より芳雄工人の下で木地修業を行う。昭和46年に「渡辺和夫」名義のこけしが初めて世の出たと言われています。現在、湊屋系列直系の工人は残念ながらいない。
 和夫工人と最初にお会いしたのは平成7年の土湯こけし祭りでした。
 その後、平成11年2月の銀座画廊で個展、平成13年11月の福島会館での実演販売の折に弟子の太田精二工人と共にお会いした記憶があります。
 銀座の個展の際は午前中に訪問しましたが驚いた事にアルコールを進められました。大変陽気な性格で親しみ深い工人でした。また、平成14年9月の日本伝統こけし二人展、平成17年10月のろくろまつりでお会いしましたが、それから数か月後に事故で亡くなられました。
 和夫工人は湊屋の伝統を引継ぎ小寸こけしの製作に素晴らしい才能が見られます。全体のフォルムや胴模様(ロクロ線)の色使いは何とも表現できない素晴らしさです。(写真 砲任后
 また、笠・髷こけしの小寸こけしはフォルム・描彩共に何と素晴らしいのでしょうか(写真◆法
 写真,蓮右から三角胴で、22・21・20・20・1.9・1.3寸です。
 写真△留Δ漏1.9寸、中は笠で1.6寸、左は髷で2.1寸です。どれも神経を集中させて一心に作り上げた【木の宝石】と言えるのではないでしょうか。まだまだ活躍して頂きたい工人でした。以上。 
 こけし友の会・田中厚志氏著。
 ※ 土湯系こけし工人・渡辺和夫(昭和15年~平成17年、享年64歳)木地描彩共に優秀で、若手工人に似ず古い土湯の味を充分にあらわしたこけしであった。
 

吉野稔弘(としひろ)こけし

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 弥治郎系こけし工人・吉野稔弘(昭和61年生まれ)は、宮城県白石市弥治郎に生まれる。地元の学校を卒業後、サラリーマンとして働いていたが平成23年の東日本大震災を契機に以前からこけし工人への誘いを受けていた、佐藤英雄工人の下でこけし工人になることを決意する。
 平成23年5月より弥治郎系こけし村で佐藤英雄工人の下で修業する。
 佐藤家は、佐藤幸太・今三郎・昇・辰雄と続き、辰雄の弟子となった佐藤英雄工人へと引き継がれた弥治郎系こけしの本流です。
 稔弘工人は弥治郎こけし村に自ら轆轤を据えた工房を持ち、こけしの製作と研究に打ち込んでいる。昨年・今年(平成25、26年)と全日本こけしコンクール(白石)に挑戦したが、残念ながら入賞する事は出来なかったが弥治郎系新人工人として高い評価を受ける。
 昨年6月、こけし友の会の例会で辰雄型枯れ胴菊模様を頒布しました。
 写真の三種類は、右は師匠の英雄型枯れ胴菊模様、中央は、辰雄型直胴菊模様、左は今三郎型枯れ胴ロクロ線です。木地・描彩共に佐藤家伝統こけてを継承する素晴らしい出来栄えのこけしです。
 これから多くの経験・技術の向上を積み大きな飛躍を楽しみにしています。以上。こけし友の会・田中厚志著より。

佐藤賢治一家のこけし

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 『こけし手帖』平成27年7月 656号「例会ギャラリーより」
 東日本大震災を機に東北を支える様々な活動が盛んになり同時に絆や癒しを求める様になった。こうした中、こけしへの関心が高まり、現在第3次こけしブームの到来と云われる様になった。こうした中、ブリキやセルロイドの人形に席巻され廃業を余儀なくされた工人を昭和10年代に復活させ、新たな工人を発掘する時代があった。こうしたエネルギーが新たな工人を生み、新たな伝統が創成されて行った。今回はそうした動きに呼応した工人のこけしを採り上げてみたいと思う。 
 山形系こけし工人・佐藤賢治は明治13年、仙台で一番古い木地屋の次男として生を享ける。父に就き横木挽きを修業し弟子には加納伝次郎や海谷吉衛門等がいる。前述したブームの中、勧められてこけしを製作する。文献登場は昭和11年の木形子異報、写真掲載は14年のこけしと作者であった。
 作品の特徴は、頭が角張って横に広がっている。一重瞼で簡単な飾りがつく。面描は瞳が小さく、鬢は短く恍けた表情をしている。胴は太く鈴蘭の様な草花が描かれている。ブームに伴い。数多の工人が輩出した時代であり、伝承はなく創意や見取りが原点となっている。木地は本人や養子となった幸治の手によるものと思われる。描彩は幸治の姪である相澤美代子や幸治の手によるもの。そして描き手不明のものがある様だ。
 幸治は明治36年 相澤藤右衛門の次男として生を享け、後に賢治の養子となる。23年から長男賢一(昭和4年生まれ)と共に職人として働き、29年独立する。38年、父、幸治が手を負傷し木地が挽けなくなり賢一が稼業を継ぐ。
 写真は、右2本が賢治作。,肋赦8年作橘頒布、こけしと作者掲載の写真に近い。同署では描彩は姪(相澤美代子)の手によるとある。こけし辞典掲載のものと同手である。△15年作、寺方コレクションにあった物。愛玩鼓楽掲載の相澤美代子作と同手である。同女が描彩を行った期限が限られ符合しない点も窺える。新たな描彩者がいたものと思料される。又、個人的には賢治自身の描彩もあったのではとも思う。、い蝋治作賢治型と遠刈田型の四つ菊である。イ聾一作。
 こけしの蒐集熱が新たな工人を誕生させ、新たな伝統が形成される様子を垣間見ることが出来た。
以上、こけし友の会・平塚俊夫氏著より。

高橋正子こけし

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 鳴子系こけし・高橋正子工人は高橋勘治・盛・盛雄・輝行工人と続く高勘の伝統こけし工人です。盛工人の孫娘で高橋松子工人の長女で高橋義一工人の姉にあたる高橋の直系です。
 昭和54年頃よりご主人の輝行工人の勧めもあり描彩の修行を始めて、こけし製作を行っています。輝行工人の木地に主に小寸こけし・ねまりこへ描彩をしています。
 平成27年 秋のとげぬき地蔵尊高岩寺第6回東北地方復興支援鳴子系伝統こけし製作実演の際に正子夫人の小寸こけしの素晴らしい出来栄えに感激してお願いしました。
 写真のこけしは嵌め込み式・一側目・肩と胴の上下に轆轤線・胴が微かに枯れている写真の4種類です。右から大きく描彩された紅葉二葉と三葉の胴模様、左二本は胴全体に描彩された菊模様です。
 輝行工人の高勘の伝統を継承する長年の経験と卓越した木地技術で製作された素晴らしいフォルムにどれも女性工人らしい繊細で優しい表情をした小寸こけしです。
 高勘の直系は正子工人と義一工人の姉妹だけです。
 今後も長く高勘の伝統を引き継いで素晴らしいこけし製作をして下さい。以上。友の会・田中厚志著。
 ※高橋輝幸工人(昭和15年生れ)は、昭和30年4月より高橋盛男に師事。47年4月独立。高勘系のきれいなこけし。木地描彩ともに優秀。高勘出の工人のうちでももっとも正統派。民芸店「高輝」を開店している。

とげぬき地蔵尊高岩寺のこけし製作実演

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 平成27年7月2日(木)~6日(月)午前10時~4時まで、とげぬき地蔵尊高岩寺信徒会館にて、弥治郎系こけし工人の新山実さん・新山真由美さん・吉野稔弘さんがこけし製作実演をおこなった・会計として新山実夫人の千恵子さんと伯父、佐藤英雄工人に師事修業中の木村敦さんが参加、計5名が来られた。
 今年は期間中が梅雨の真っ盛りで雨にたたられ、来館者・売上が気にかかったが、皆さんの努力で例年以上の実績を残した。
 会場には電動ロクロを2台据え、ロクロの音が絶え間なく聞こえた。また、こけし描彩は真由美さんが担当し、筆扱いが素晴らしかった。
 展示即売品は参加工人と非参加の弥治郎系新山民夫、富塚由香と新山学各工人作。84歳でお元気な学さんはこけしと木地玩具作品、お雛様は人気で、実、吉紀、真由美の各工人が出品していた。
 会場には、2方向に プロジェクターを配置、弥治郎こけしの動画が常時投影され入場者が鑑賞していた。
 東京国際フランス学園の生徒さんが毎回こけしの絵付けに課外授業として参加し、工人さんが優しく教えている姿は国際親善に役立っていた。
 色々な来場者が有る中、弥治郎系こけし工人 新山慶明さんの弟、千葉在住の新山義春さんが来られた。今三郎系系譜に出てくる元工人で、展示してある慶明さんのお雛様を懐かしそうに見ていた。
 東京こけし友の会、会長・橋本永興氏著より。 
 ※、毎年、会長より案内状を頂いていますが、残念ながら行けそうもないのです。

成田嘉則コレクション

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 =戦前の名品こけし100本が群馬県の秘境の湯に展示=
 こけし友の会会長・橋本永興・かなめご夫妻著より。
 私達は秘境巡りをしていた。妻の出身県の群馬にある北北軽井沢に近い浅間隠温泉郷の秘湯「かやぶきの郷 薬師温泉旅館」によく泊まりに行っている。宿の高木文平支配人に私が伝統こけしを集めている話をしたことがあった。
 平成26年暮れ、久しぶりに泊まりに行った時、来年になったらお客様のご家族からこけしと郷土玩具多数が寄贈され展示する事になったが、こけしも郷土玩具も分からないので、こけしの展示を私ども夫婦に手伝ってもらいたいと依頼されて、整理に何度か通い展示を手伝った。
 この蒐集は愛知県豊橋市の故成田喜則さんのもの。ご家族がよく泊まりに来られていたこの宿に展示するのが雰囲気に合うと寄贈を思い立ったそうである。
 後日知ったことだが、成田さんは友の会の会員番号が700番という古い会員の方で10年程まで在籍していた。 
 写真,藁拘枡發慮徒渦箸良福この宿は山あいにかやぶき屋根の古民家を多数移築し、それぞれの宿泊施設、古美術品展示場にしている。中でも益子焼の人間国宝であった濱田庄司邸を移築し、邸内に濱田庄司ギャラリーを常設。また別の各邸には時代箪笥、甲冑武具や蒔絵、陶器、古伊万里などを展示している。
 成田喜則コレクションの郷土玩具(土人形)と古品こけしは南部曲がり屋「木村家」に常設展示されている。入口には「日本の郷土玩具展示処」の看板を掲げている。
 写真△聾軸悗鯑襪叛田コレクションの土人形が時代箪笥の上に並ぶ。重厚な室内の中でライトアップされた蒐集品は数の多さと質の良さに感動する。つづく。
 

成田嘉則コレクション②

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 ※ パソコンの調子が悪くて困りました!。
 「成田嘉則コレクション」
 成田コレクションの郷土玩具、展示の郷土玩具の一部は他の蒐集家のコレクション。他の展示の郷土玩具は郷土玩具は、郷土玩具研究家の鑑定の結果、国宝級の物があるとの事。
 戦前の古品こけし約100本、戦後のこけし120本とえじこ・ダルマが成田コレクション。上段のこけしは他の蒐集家のコレクション。
 写真は戦前の古品こけし群の一部。作者は佐藤直助、佐藤庄吉、佐藤巳の吉、佐藤松之進、佐藤文助、新山榮五郎、小椋嘉三郎、佐藤誠、佐藤喜一、本田鶴松、佐久間虎吉、阿部新次郎、他に盛秀太郎、小椋久四郎、大沼岩蔵、高橋武蔵、齋藤松治、岡崎長次郎、荒井金七、佐久間由吉、小幡福松など、11系統の戦前こけしである。
 「かやぶきの郷 薬師温泉旅館」は、群馬県吾妻郡東吾妻町本宿にあります。東京から車で2時間、電車で2時間30分である。以上。

新しい収集家に望むこと ①

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 『こけし手帖』695号 こけし友の会・小岩.俊一氏より
 一時は落ち込んでいた、こけしの愛好家、収集家の数が、最近復調の傾向が顕著に見られ、友の会も会員数が増え、特に若い女性を中心とした年代の若い人の数が増えて来た。
 友の会だけでなく、大阪や仙台など若い人の会員数が増加しているとのこと。こけし手帖の例会出席者名を見ても、若い人と思われる御名前や、ひら仮名の名前の出席者がことに増えて来た。かつての例会出席者名にこんな現象は見られなかった。筆者は40年前くらいに友の会例会に出席した経験は僅かながらあるものの、例会出席の経験は無きに等しいもので、よって筆者は収集家との手紙の交友や会報などによる情報、つまり活字・文字から受ける情報で勝手に筆者がこけし界、こけし会を判断した意見であって、現実はそりゃ少し違いますよと言われても、そこはお許し願いたい。
 筆者はこけし趣味に投じた昭和30年台半ばと今、若い人がこけしを求めてこの世界に入って来た理由・事情が明らかに違う。我々の時代にはネットなんてなかったし、今は情報手段氾濫の時代、入会の動機、入会の仕方も違う。
 我々が入会した頃は高橋盛、高橋武蔵、遊佐福寿、斎藤源吉、小椋久太郎、佐藤丑蔵、佐藤文吉、小林清次郎、新山久治等々いわゆる古型・旧型(伝統性というべきか)を収集する事に憧れて収集の道に入った。ところが今は違う。特に若い女性らの収集家は、古型の美は認めているものの、これらの人のこけしへの思いは「可愛い」である。可愛い思いで収集を始めたら悪いのですかと、もし反論されたとしたら、それに反論の余地はないが、、、。 つづく。

新しい収集家に望むこと ②

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 また昔の話を出すが、かつては「旧型(伝統)こけしこそ、こけしであって新型こけしはこけし人形と言い、我々はこれを厳しく区別している」と書いたり言ったりした人が多く居た。欺くいう筆者もその一人であり、人の事は言えないのだが。
 最近このような暴言は影を潜めたが、職業選択の自由であり、どんなこけしや人形を作ろうとその作者の表現の自由であって、公平・平等・自由の原則が守られずに物事や論が進むとえらい事になる。筆者もその事を思うと、文を書くというのは慎重にならざるを得ない。かつて筆者も若い時分、本誌に若さにかまけて、血の気の多い文章を投稿したものだが、あれでよかったのかどうか、間違ったことを得意になって書いたのではないかと自省の念に囚われているのも確かで、文章にすることにあのらためて重味、責任を感じている。
 さて、一般論みたいなことをだらだらと述べて来たが、折角若い人がこけし収集の道に入って来られたのだから、我々先陣の収集家も工人さんもこれらの人達が収集をこれからも長く続けてこけし人口を減らさないことを願う。聞くところによれば友の会々員が400名を割り込むところ迄、追い込まれた時期もあったそうで、当時の会長さんも自分の代で会をつぶしてはならぬと必死の思いであったと思う。
 話は前に戻るが、いわゆる「可愛いこけし」についてであるが、筆者の入会した頃の動機と今の若い人の入会動機が少し違うと先に書いたが、今は分母を増やす時代(会員を増やす時代)で、それはそれで良しとすべきだが、収集を始めた動機「可愛いこけし」を求めて始めたその気持ちがこれからも続くかどうか、これらの人が新型こけしも収集しているかどうか不明だが、入会してくるからには旧型こけしの良さは認めていると思う。収集家が可愛いこけしを求めるからには、工人側も収集家の意に沿ったこけしを作るのは、人情として当然で、可愛いこけしが主流になると、我々が「良し」とかんじた伝統性が希薄になって行くのは当然で本当の意味での伝統に立脚したこけしが無くなっていくとすれば、我々はその兆候を危惧するものである。時代に流れがあるのは認める。つづく。

新しい収集家に望むこと ③

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 その流れの中でもこれだけは残して置くべきだというものがある筈で、あの凛とした目の輝き、何回見ても、何年間持っていても人の心を飽きさせないこけし、例えれば芸に求めると、浪曲、落語、名人芸の芸というのは、特に好きな演者の公演の物は、何回も聞いてストーリーを空んじている。聞く前から流れの中で次は何をしゃべるかも知っている。それでも且つその場面にくると聞く人に面白さを感じさせる。これがいわゆる本当の芸で、芸とはそういうもの。
 こけしは芸ではないが、その物の持つ神髄、それがある筈で、それを伝えるこけしであれば、同じ物を何本収集しても、何本買っても惜しくはない。今の若い収集家がそれに気付いてくれればと願うのが、おせっかいながらも古収集家の気持ちである。
 今の若い人達の収集は大体六寸が主流だそうで、我々の時は八寸がこけしの平均値寸法と言われていた。寸法に意義は唱えない。工人さんとすれば大きな寸法のこけしを買って貰いたいが、今でも収集家の増えるのが第一位であることに変わりはない。蒐集人口が減ってしまったのでは元も子もない。こんなことをを書くのはおこがましいが、新収集家は未だ伝統の良さに気付いていないと思う。
 伝統という入口の中には入ったが、中でウロウロしているのが実状ではないだろうか。
 そうであれば手を引いて本当の所まで導いて行くのが既収集家の務めで、思い上がりのような気もする。ほっといてくれとも言われそうであるが、それも本当のことの一つ。だが「しかし」と言う事になる。つづく。

新しい収集家に望むこと ④

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 読み返してみて、考えが二転三転していて、お前、何を書いているのかと問われてもしかたなく、要はこけしの伝統性が流されていく、失われていくような気が事実しているので自己流解釈で書き記したもの。やはり伝統性は守らなければという古収集家の思いである。これがあとに続く収集家への願いである。御免下さい。おわり。こけし友の会々員・小岩俊一氏著より。
 ※ 『伝統こけしの魅力』
 「こけしのどこがいいの?」よく人に聞かれるが、、、、。私は返答に困ってしまう。手も足もないただの木人形がだがこけしの表情には幼児がもつ愛らしさや、優しい微笑をたたえたものがある反面、苦労や孤独、怒りなどの暗いものも表れ、人間のもつ喜怒哀楽のさまざまな表情がある。しかも産地、師弟関係、表現様式等によって十の系統に分かれる。
 遠刈田系、弥治郎系、鳴子系、土湯系、南部系、木地山系、山形作並系、蔵王高湯系、肘折系、津軽系の十系統。同じ系統でも工人たちの精神風土や生活背景等を反映した独特の美しさや特徴があり、こけしを見て作者が分かるまである程度の経験がいる。
 こうなると、こけしへの興味もより深いものになる。四国松山の私にとって、伝統こけしに出会うにはなかなか難しいのです。伝統こけしに魅せられたものは、「可愛いこけし」などすこしも気にならないのです。「伝統lこけし」がいいのです。

岩附義正こけし

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 土湯系・岩附義正公人は教員の傍らこけし製作へ一方ならぬ興味を持ち、昭和54年頃より休みを利用して土湯へ通い、渡邊和夫工人より木地・描彩の指導を受ける。
 和夫工人の許可を得て、昭和58年頃よりこけし製作を行っている。平成26年4月に正式に仕事を終えたのを機にこけし製作に専念している。
 今まで各種コンクールへの出品は控えていたが、いい機会に挑戦する事にして第35回みちのくこけしまつり(平成27年11月)へ出品した。
 写真の4種類のこけしは、右からつぶし目、三角胴に太めの赤と緑の返しロクロ線の浅之助風・つぶし目、三角胴に太めの赤・紫と緑の返しロクロ線の浅之助風で初めて紫をロクロ線に入れたとの事・面描は浅之助風で三角胴の本人型胴の模様・左は面描と三角胴の胴模様も本人型です。
 本人によると「浅之助風」と表現するのは目の描彩が異なるのと返しロクロ線が太いのでその様に言っているとの事である。
 岩附工人は、都心に近い場所に工房を設けてこけし製作を行っている。湊屋系こけしを継承して大きく発展させてほしい。今後の活躍に期待したい。
 ※ 土湯系・渡邊和夫こけし工人(昭和15年~平成17年、享年65歳)は、昭和46年より佐久間芳雄工人について木地を修業、木地描彩ともに優秀で、若手に似ず古い土湯の味を充分にあらわしたこけしである。木地描彩共に優秀で人気があった。
 

こけし灯籠

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 こけし手帖「我が家のこけし灯籠」矢田正生著
 黒石の観光案内などでは灯の点いたこけし灯籠がこみせや旅館をバックに幻想的な風景を見せている。しかし、黒石に行っても宿泊はいつも山間部に宿を取るため、明るいうちに黒石の町を離れていて、こけし灯籠に灯が点いたところは見たことがなかった。
 平成26年たまたま板留温泉の丹羽旅館に宿泊する事になり、こけし灯籠に灯が点いたのを見ることができ、その情景に酔い、これが我が家にもあったらいいだろうなと想ったものである。
 平成27年「みちのくこけしまつり」の会場に五基の系統のちがうこけし灯籠がたち、会場の雰囲気作りに一役かっていた。東京・巣鴨のとげぬき地蔵の住職のお世話で飾られたとのこと。そういえばとげぬき地蔵の写真には何基かが写っていたのを見たことがある。「こんな私もほしいなあ」といったことが、まつりにおいでになっていた「東京こけし友の会」の橋本永興会長に伝わり、後日、こけし灯籠の作者の森勇一氏の電話番号などを連絡いただき、作るのなら仲を取り持つと言って下さった。個人で購入できるとは思っていなかったのでうれしい便りであった。
 灯籠のモデルにするこけしはどれにするか。私のこけし整理用のシールは、秋山一雄の頭部様式を取り入れてる。そんなこともあり見映えなども想像しながら灯籠は、秋山一雄のこけしをモデルにすることに決めた。しかし、寸法などの詳細はどうするか、やはり作者にあって決めなければ不安もあって、5月のゴールデンウイークに訪ねて注文したいからその時はよろしくと、橋本氏に返事した。予定が決まれば連絡を入れますとご返事をいただいた。
 平成28年4月末に、寄り道をしながら行くので、何日とは言えないが必ずお訪ねしますと、便りをして家を出た。
 津軽系伝承工芸展の森勇一氏を訪ねると、お待ちしていましたと迎えて下さった。秋山一雄のこけしを持参し、これをモデルにお作りいただきたいと話し、助言をいただきながら寸法を決めた。このこけし作ったことがないので期間もいただきたいとのことでお引き受け下さった。(写真は矢田宅の玄関の灯籠こけし)です。
 ※ 矢田氏は、名古屋こけし界の重鎮の方で、こけしフアンの私に色々アドバイスをして下さった方です。

弥治郎こけし初挽き

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 平成29年1月2日午前10時より弥治郎こけし村の小野宮惟喬親王神社において、平成29年度第51回初挽きが挙行された。今年の初挽き実演者は吉野稔雄工人であった。
 今年は昨年以上に温暖な気候でこけし村には雪が無く、曇りであった。
 会場は開始近くなると多数の見学者が集まる。神事が始まり神主さんも祝詞の後、行政の方、こけし工人、こけし愛好家などの玉ぐしの奉納が行われた。私もご指名により東京こけし友の会を代表して奉納をさせていただいた。
 初挽き工人は若手の吉野稔弘工人が抜擢され、堂々と奉納初挽きこけしを素早い手さばきで作り上げた。ベテラン工人に続いて若手の吉野工人が指名されたことは、これからも小林(旧姓・富塚)由香、新山匠太、高田稔雄、修業中の男子工人2名などがいる弥治郎系の将来は楽しみである。 
 初挽き終了後、弥治郎こけし村二階研修室で直会が開催され実演工人を囲んで、弥治郎系こけし神社氏子会会長の小倉勝志工人の挨拶で始まり、白石市長、来賓の挨拶、こけし愛好家の団体代表者の乾杯の後、弥治郎系こけし工人組合の新山実会長、佐藤英雄工人をはじめ組合工人、遠刈田系佐藤勝洋工人、佐藤正廣工人を囲んで楽しく語り合った。 
 私はいつも言っていることだが、愛好家には産地に行って工人さんと会ってほしい、工人さんには、愛好家が訪問したら、ぜひ歓迎して欲しいと話をした。東京こけし友の会・橋本永興氏より。
 ※ 私もこけし愛好家の一人であるが、私たちが夢中になっていたこけし工人たちのお弟子さんや子供達です。考えさせられますね。

新山真由美・柴田良二のこけし

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 写真は、弥治郎系・新山真由美と木地山系・柴田良二の4寸のこけし達です。
 新山真由美工人(昭和40年生まれ)は、昭和63年より義父、新山吉太郎工人と夫、吉紀工人の下で木地修業を始めこけしの製作を始める。
 こけしコンクールでは、毎回の様に入賞する経験・技術・技法に優れた女性工人で、第57・58回全日本こけしコンクール(白石)、第61・62回全国こけし祭りコンクール(鳴子)で賞を獲得している。
 写真は右から喜一型、福雄型、小関幸雄型、地蔵型、はらみこしと本人型の六本です。いずれも小寸こけしにも拘わらず手を抜かず丁寧に製作された弥治郎系を代表するこけしです。
 柴田良二工人(昭和19年生まれ)は、柴田鉄蔵工人に師事し、こけし製作を始めるが長い間中断していた。平成22年頃よりこけし製作を再開するが復活デビューは平成26年2月の秋田県こけし展である。
 復活後は第61回全国こけし祭りコンクール(鳴子)、第58回全日本こけしコンクール(白石)で入賞する技術・技法に優れた工人です。最近、従来の仕事を辞めこけし製作に専念できる環境が整ったようです。
 写真7本目から9種類です。石蔵型、鉄蔵型(昭和初期)、鉄蔵型、鉄蔵型(昭和初期)、嘉市型、啓太郎型、啓太郎型、鉄蔵型 、最後は慶次郎(実父)です。9本です。
 すべてのこけしは、木地山系こけしを代表する力作で心和む表情と独特のフォルムが素晴らしい出来栄えですべてを揃えて手元におきたいです。
  
 

木地びなコレクション ①

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 東京こけし友の会・大原裕子氏より
 幼い頃、おひなさまを飾るのは一家総出のイベントだった。ひな壇を組み立て、箱から取り出した”ひな”と一年ぶりに対面、落とさぬ様に背伸びして飾った思い出がある。
 年を重ねた今日、「ひな祭り」の季節となると自然に顔がほころぶ。木地びなとの出会いはこけし専門店「たつみ」が秋川に移って数年後の平成5年「木のお雛さまたち」と題してこけし工人の木地びなを展示、販売した時に始まる。
 あたたかい木の温もりのあるその姿にすっかり魅了されてしまった。その会場でひときわ大きい遠刈田の佐藤一夫工人の槐のどっしりしたひなが(写真 北椶忙澆泙蝓後に自宅を訪ね手に入れた。このひなは皇太子殿下のご成婚を記念して作られたとの事。
 これを見た現在宮古島へ移住した友人がすっかり気に入り注文、毎年南の島で飾り楽しんでいると今年の年賀状に書かれていて嬉しかった。「たつみ」では滝島茂、今晃、小林清、梅木修一、佐藤良子、井上春未工人のひなをコレクションに加えた。
 秋、鳴子が始めてだという友人三人と紅葉見物後立ち寄った店で昭二工人の座りびな(写真△虜限Α砲鯒磴辰拭それは金色模様の入った鳥帽子や右手に笏を持った本格的なものだった。友人が初節句のお孫さんにプレゼントしたが今年15歳になったとお聞きした。
 私は櫻井昭二、高橋正吾、井上ゆきこ工人の三組のひなは大好きだ。正吾作はやわらかな色彩で細かく丁寧に描かれをた笏や扇もきれいだ。井上ゆきこ工人のひなはその後収集の目標となるこけしの胴模様を取り入れた旭菊の描かれた立びな(写真△留βΔ世辰拭0幣紂
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