「二十代からこけしに魅せられて」安西水丸著
『小椋久太郎こけしに魅せられて』木地山系の工人、小椋久太郎を知ったのは、1990年のはじめ頃だった。仕事で出かけた途中、遠刈田の「みやぎ蔵王こけし館」で、妙に気になるこけしに目を奪われた。おもわず購入、作者名のサインは、小椋久太郎、93歳とあった。1960年代は、こけしの人気は高く、実家の赤坂にもいいこけし屋があったほど。スキー帰りに立ち寄る盛岡駅近くの「玉屋」は楽しみだった。その後、アメリカに渡り、数年して帰国。帰国後あっという間に20数年たち、久しぶりに手にしたのが、小椋久太郎のこけしだった。なぜか胸をしめつけられ、数少なくなったこけし店を買いあさった。久太郎の実家も尋ねたが、すでに亡くなられていた。
伝統こけしには、約十種類ほどの系統があるが、何故か小椋久太郎のこけしにしか心が動かない。伝統こけしの里はすべて訪ねたが、小椋久太郎のこけしほどの興奮は感じない。「こけし時代」より。