肘折系こけし工人・佐藤誠次(明治35年~昭和37年、享年61歳)のこけし。
『こけし時代』によると、「誠次もまた、兄、丑蔵と同じく新地を出て及位の文六叔父に世話になった。以後、文六のもとで職人として生き、こけしも少量ながら作った。静かな性格で黙々と仕事をした人だったという。兄の丑蔵よりも文六一家との繋がりが強く、作るこけしも、文六の影響が強く、及位風であった。」とある。
※ 佐藤誠次工人は、遠刈田新地の佐藤文治の三男。13歳のとき、及位の叔父、佐藤文六のもとへ行って、雑用を手伝ったが、この時にはまだ木地は挽けなかった。1年ほどして遠刈田へ帰り、木地を修業したが、特別の師匠名は確認されていないが、文平・茂吉などに指導を受けたのであろうと言われている。戦前より多く作らず、現存の作品は同時代の工人と比較して非常に少ない。個性の強い文六・丑蔵の間にあって、黙々と仕事に徹した工人にふさわしいこけしである。(写真)。