こけしは子供の玩具であった。郷土玩具(土俗玩具・民族玩具)の蒐集家が泥や張子などの人形と共にこけしを集めてきた。清水晴風の「うないの友」(明治24年10月ー大正11年6月)はこけしを扱った最古の玩具書である。川崎巨泉の「巨泉おもちゃ絵集」(大正7年)、婢子会の「日本土俗玩具」(大正13年)、有坂与太郎の「おしゃぶり」(大正15年)その他郷玩具書にこけしの散見するものはあったが、天江富弥著「こけし這子の話」(昭和3年1月)は最初の専門書で、この頃からこけしを専門に収集研究する大人が次第に増えてきた。金属・セルロイド・プラスチックなどの新興玩具がこけしを子供界から駆逐しつつあった。第二次大戦前後子供の玩具としてのこけしは滅びようとしていた。大人が、こけし専門家が、こけしの美を発見し、マーケットよりの物理的滅亡を救った。今日こけしは子供の玩具というより大人の鑑賞用品であり小美術品である。社会思想社発行の『こけしの美と系譜』より。
こけしは子供の玩具であった。郷土玩具(土俗玩具・民族玩具)の蒐集家が泥や張子などの人形と共にこけしを集めてきた。清水晴風の「うないの友」(明治24年10月ー大正11年6月)はこけしを扱った最古の玩具書である。川崎巨泉の「巨泉おもちゃ絵集」(大正7年)、婢子会の「日本土俗玩具」(大正13年)、有坂与太郎の「おしゃぶり」(大正15年)その他郷玩具書にこけしの散見するものはあったが、天江富弥著「こけし這子の話」(昭和3年1月)は最初の専門書で、この頃からこけしを専門に収集研究する大人が次第に増えてきた。金属・セルロイド・プラスチックなどの新興玩具がこけしを子供界から駆逐しつつあった。第二次大戦前後子供の玩具としてのこけしは滅びようとしていた。大人が、こけし専門家が、こけしの美を発見し、マーケットよりの物理的滅亡を救った。今日こけしは子供の玩具というより大人の鑑賞用品であり小美術品である。社会思想社発行の『こけしの美と系譜』より。