「古鳴子」こけしとは、、、、
昭和27年深沢要氏(こけし収集家・深沢コレクション)により、提唱された語(追求)「私の鳴子追求を鼓舞するのは古鳴子である」と記している。明確な定義は示されていない。年代の古いまた古風の鳴子こけしという意味であろう。古鳴子を通じるものは巧まざる素朴さと甘くさびた情味であり、深い郷愁の世界にさそわずにおかないのです。
鈴木庸吉の昭和14年作(左19cm)。彼は明治31年~42年まで高野幸八につき修業、35年、一時肘折で働き、また鉛・台・大鰐・仙台等を遍歴して昭和14年、58歳で以降七ヵ宿滑津の五十嵐工場にいた。20年、66歳で没。幸八の形を伝承したが描彩は稚拙素朴であった。
高野幸八作(左から2番目の10.5僂19僉砲蓮大沼又五郎につき修業。玩具作りの名人で、高幸商店を経営、大正9年、52歳で没した。大正2~3年鰻湯へ行った山三の左野健吉氏が作らせたのが偶然残っている。
大沼けさの作(右側19.5僉法B臂造韻気里蓮⇒Ρ厂腓虜福¬声37年、54歳で没したので、その遺品がが残るのは奇跡的なものである。胴細長く肩低く幸八型に似ないでもないのは、両者とも大沼又五郎の流れを汲むからかもしれない。『こけし 美と系譜』より。