「版画家 徳力富吉郎さんをお訪ねして」昭和60年7月発行の「こけし手帖」より。
三月半ば、京都に版画の第一人者 徳力富吉郎氏をお訪ねした。かねてから徳力さんがこけしの版画を何点か作っておられるのを知っていたので、今回はこけしとの関わりをお訪ねする旅になった。
京都市丸太町のお家は、古いどっしりした門構えの京都家屋である。代々西本願寺の絵所を預かる旧家で、徳力さんはその12代目だとのことである。家は建ててから百年もたつという。
徳力さんは、明治30年生れだが、その若々しいのには先ず驚嘆させられた。どう見ても60代後半、お声も澄んで典型的な京都人の物腰である。
さっそくこけしの版画を二枚出して見せてくださる。一枚は遠刈田の佐藤円吉と肘折の奥山喜代治らしい二本を並べたもの。「40年ぐらい前に彫ったものですな」とおっしゃる。もう一枚は鳴子の桜井昭二さんの店の玄関を版画にしたもの。「57年に用事で鳴子に参りました折、通りかかったこのこけし店が一番美しかったので、雨の中スケッチして来ましたのを版画にしてみたのです。」≪一番美しかったので≫というのが、如何にも画家の眼を感じさせる表現である。
「戦前におもちゃ、つまり郷玩ですな、そのコレクションをやっていまして、その中にこけしが混じり込んで来たというわけですねん」しかしコレクションは今はない。蒐集の末路がみじめなのを見て来ているから、といわれる。「それより蒐めたものを出来るだけスケッチして、版画で残しなさいと進めています。ですから、古い蒐集家の古いこけしの版画も機会があればやってみたいですね」とうれしい話。
知る人ぞ知る、薬師寺の国宝吉祥天の復元版画は色摺度286回という古摺りの極め付き、その版画がお部屋に掛けてあり、仰天して拝見した。
また、お家の裏の疎水は、工事中で水は流れていなかったが、もうすぐ満々と水をたたえて、その向こうに東山の霞んだ山々が望めるという。徳力版画は京都そのものといっても過言ではないだろう。