こけし像巡り ⑥
再び仙台に戻り、鳴子温泉に向かう。東北の数ある温泉地の中で、列車が駅に近づくと、窓から温泉特有の香りが流れ込むというところは少ない。鳴子温泉はこうした珍しいところで、鳴子駅に降りると、ますます硫黄泉の香が鼻をつく。...
View Articleこけし像巡り ⓻
鳴子と言えば「日本こけし館」を見学しなければならない。駅から少し遠いが、景勝の地鳴子峡と尿前の席跡近くの高台鳴子公園に、昭和50年開館した「日本こけし館」は、故 深澤要、溝口三郎両氏のコレクションと、毎年の全国こけし祭りの奉納こけし、或いはこけし関係の文献などを展示したこけしの殿堂で、今では鳴子温泉の名所の一つになっている。...
View Articleこけし像巡り ⑧
鳴子をあとに陸羽東線の車窓風景を楽しみながら新庄駅へ。ここからバスで一時間余り、現在でも草屋根家屋が残っている山間の村々を通って肘折温泉に行こう。 肘折温泉が近ずく最後の長い上り坂になると、もし天候に恵まれるなら、前方に月山の雄大な山容を望むことができるだろう。この坂道を登りきって広い台地を進むと道路右側に「歓迎・肘折温泉」と書いた巨大なこけし塔が近ずいてくる。...
View Articleこけし像巡り ⑨
つぎは庄内海岸から温海温泉に向かうことにして、新庄駅から陸羽西線に乗車。古口駅を過ぎると最上川と併行の路線で、船下りの船客と手を振っての交歓も楽しいひと時、すると何処からともなく、「酒田さ行(え)ぐさげ達者(まめ)でろちゃヨイトコラノセー流行風邪(はやりかぜ)などひかねよに」、最上川舟歌の声が聞こえそうである。...
View Articleこけし像巡り ⑩
温海温泉から再び新庄駅に戻り、ここから奥羽本線を南下、「おしん」で一躍脚光を浴びた銀山温泉への入口大石田駅を過ぎると間もなく、駅近くに温泉街のある東根駅がある。この駅前の羽州街道を少し北に行った道路沿い、住宅敷地内に一基のこけし像が立っている。 これは、この付近で発生した自動車事故での死者を弔うために、死者の身内である東根温泉の旅館主が立てたこけし像である。...
View Articleこけし像巡り 終り
最後に、こけし産地とは無関係の関西は大阪市という、大都会の繁華街に立つこけし像を紹介をしよう。以前から民芸風小料理屋入口に立つこけし像を紹介する。 これは料理屋入口で時に見掛ける陶製のネコやタヌキに相当するもので、招きこけしとでも言うべく、先きに紹介した白石市のうーめん屋入口のこけし像と同様だが、関西は大阪市という大都会に立つところに、妙味があると言えるだろう。...
View Articleこけし像巡り (追加)
土湯温泉の町中を流れる荒川の、一ばん上の橋が架け替えられ、昭和58年12月に竣工、その名称も荒川橋から荒川大橋になった。この荒川大橋の四隅に、擬宝殊がわりの大きなこけし像が、昭和59年3月に立てられた。(写真)...
View Articleこけし像巡り もう一つ追加
つぎに、土湯温泉のあと遠刈田温泉によると、前稿で紹介した、温泉街から新地への松川橋に立つ、擬宝樹がわりに大きなこけし像の描彩が、先きの重ね菊から、桜くずしのものに化粧直しされていた。 翌朝遠刈田温泉を出発したとき、バス時刻改正を知らなかったので、予定の白石駅行きに乗れず、大河原行きに変更したが、途中道路傍らの食堂入口に、入店歓迎のこけし像が立っているのを見た。...
View Article村長さんの作る 「まんさく」こけし
「こけし手帖」昭和59年6月号より 「木地山こけし」できこえている秋田県雄勝郡皆瀬村の村長さん・・小南(こみなみ)三郎さんの村の山藪から切り出した”まんさく”の木を素材とした「まんさくこけし」が話題となっている。...
View Articleこけし置物
「こけし置物」矢田正生 著より。 ここまで「こけし像巡り」深瀬 秀氏の各地のこけし像を紹介されたが、いずれも像というに相応しい大層なものばかりであるが、我が家にも小さいながら玄関にこけしの形をした置物がある。今回の深瀬氏に関して、こんなものもあるということで紹介させて頂く。...
View Article「隠れマニア」のこと ②
昭和59年9月号発行「こけし手帖」より。 こけし同好会などに無縁の見知らぬ人びと、つまり「潜在マニア」ばかりがそこに群がっていたのです。おおざっぱにいって千人は越しているでしょう。 ずいぶん前の話だが、こけし友の会の東北旅行の帰り、石井荘男さんと二人、仙台から急行に乗った。発車間際に飛び乗ってきた人が隣の席に乗った。そんなことから、私たちが雑談しているうちに、その人が笑いながら話してきた。...
View Articleこけしの値(あたい)あれこれ ㈠
昭和59年11月号「こけし手帖」より。文・宇田川智恵子。 「本年6月、小田急百貨店において、井上ゆき子をメインにこけし展があった。相変わらず開店と同時に、会場横の通路に、行列ができ、会場に入る順番の抽選を待った。作品はふんだんに並べられ、ゆき子こけしのフアンは収集を増やし、堪能することが出来たのではないか。...
View Article山形系こけし工人・梅木修一親子
東京にいる姪より「梅木直美というこけしを作る人がテレビに映ったよ」とメールが入った。こけしフアンの私に知らせてくれたのです。ここ松山なら「今、こけしが映っているよ!」と友から、すぐメールが入るのだか、、、、。...
View Articleこけしのある部屋
「池波正太郎さんをお訪ねして」昭和60年2月発行のこけし手帖より。 12月某日、品川区荏原の住宅に御邪魔した。三階建てだが、玄関はしもた屋風で、下町の作家らしい風 情がただよっている。これだけの売れっ子作家が、下町情緒の漂っているこの界隈に住むのは、下町に生まれ、下町感覚、下町の手触りを愛し大切にしているからで、人柄である。六畳ほどの簡素な応接間に入ると、黒猫が三匹寝そべっていた。...
View Article続・こけしのある部屋
「朏健之助さんをお訪ねして」昭和60年5月発行の「こけし手帖」より。 「朏」と書いて「ミカヅキ」と読む。京都の電話帳の中で朏という家を探すとわずか3軒しかなく、誠に珍しく一度覚えたら忘れない名字である。...
View Article続・こけしのある部屋
「版画家 徳力富吉郎さんをお訪ねして」昭和60年7月発行の「こけし手帖」より。 三月半ば、京都に版画の第一人者 徳力富吉郎氏をお訪ねした。かねてから徳力さんがこけしの版画を何点か作っておられるのを知っていたので、今回はこけしとの関わりをお訪ねする旅になった。...
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