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Channel: こけしおばちゃん
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続・こけしのある部屋

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 「畦地梅太郎さんをお訪ねして」昭和60年12月発行の「こけし手帖」より。
 町田市にはまだ自然がある。起伏の富んだ丘陵地帯の坂上に畦地家がある。康惠夫人の案内で、母家のわきを抜けると可愛い庭の端に工房があった。小柄で、日焼けしたトレパンスタイルの畦地さんは1902年生まれとは思えない元気さで、気さくに中へと招じ入れてくれた。室内は小さな山小屋風の二間のアトリエである。銀髪のおでこに黒ぶち眼鏡を押し上げたままのポーズがきまっていて、ほほえましい。
 夫人にも加わっていただいて、こけし雑談となる。畦地さんは山、そして山男を作品のテーマとしてよく選ぶが、夫人の話だと信州から先、東北には一度も足を踏み入れていないという。机上に出されたこけしは、尺前後のもの数本。「わが家のこけしはこれだけです」と夫人はいたずらっぽく笑っていた。
 上ノ山の木村吉太郎と祐助、それに中ノ沢の岩本芳蔵、さらに木地山の小椋久太郎。この外に異色のこけしが二本あった。一本は一尺五寸の木地のままで胴の太いこけし。その顔に油絵具で畦地さんの直筆の山男の顔が描かれてあった。いま一つは一尺もので、胴を中ほどでしぼり、帯状にしたキナキナこけし。盛岡出身の洋画家・深沢紅子さん描彩の新作こけしだという。
 山男こけしは、だいぶ前に新宿の親しかった登山道具店「山幸」の主人から頼まれて描いたが、その店主の急死で、この一本だけがわが家に居ついてしまったという。
 昭和51年ころ、新型こけしの審査員を頼まれたが「わし、わからん」といってことわった。然し、なおも是非にといわれて審査員になったが「モダンなこけしが良くないといういうのではないが、こけしはやはり伝統のものが良い」と言いそえた。「やはり、この(吉太郎)方が良いよね、たどたどしさがあって」と穏やかにいう。
 夫人も気さくな方で「昭和45年ごろに、山形そして秋田と二回ほどが、友人を訪ねて東北をに遊んだが、上ノ山で吉太郎、秋田で久太郎のこけしを求めた」といって机上のこけしに指さした。
 せっかくの来訪者に話題を提供しようと努めているお二人の人柄に、ほのぼのとしたものを感じた。
 (こけしのおかげで、ご夫妻に会えたことに感謝したい) 以上。 

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