『こけし手帖』平成18年5月号 544号より
キクさんがこけしを作り始めたのは本人の話では昭和45年であるが「周助三代のしおり」では昭和48年とされている。本格的に市販されたのがこの48年頃であろう。こけし手帖476号の「佐藤キクのこけし」では昭和51年、52年を掲載しているが、今回それ以前の48年前後の「きく」こけしを紹介する。
写真右から,8寸頭嵌め込み、白胴ロクロ線なし △5.5寸作り付け白胴帯び有り以上が48年作。5.6寸、5.8寸頭、5.5寸各作り付け、製作年不明であるが、48年前後と思われる。どれも穏やかな顔の描彩は見る人の心を癒してくれる。古肘折の味を漂わせた初期の作品を眺めるのも蒐集の楽しみである。
昭和60年数々の大賞を取った頃に話を聞いた。昭和45年5寸作り付けで始めた。最初の頃は、夫 巳之助から「これ以上上手にならないからこのままでいいよ」と言われた。「夫は目が不自由な所が有ったのにあれほど出来た、自分は不自由でないので頑張らなければいけないと思った。」描彩では「目鼻の描き方に気を付けた。二重の目は一重より難しかった。筆の先をよく傷めたがそれは木地の肌の仕上げが下手だから足踏みろくろを使用した時のような仕上がりに成った為だ」と言っていた。
受賞について「一生懸命努力した。夜中でも朝早でも納得行くまで教えを思い出し思い切って筆を動かした。夫 巳之助が後ろについている気持ちでやっている。受賞はそれらの真剣さが認められて嬉しかった」と語っていた。
明治人の気骨な人柄を感じた。それが夫 巳之助、息子昭一とは違うキクさんの肘折こけしと言える素晴らしい作品に繋がったと思った。「周助三代のしおり」より。橋本永興氏著より。
※ 肘折系こけし工人・佐藤キク(明治44年~平成12年、享年90歳)は、名工、佐藤巳之助の妻。巳之助が病気で倒れてから、昭和45年10月頃から、突如としてこけしを作り始めた。その後貴重な存在の女性工人として活躍した。小寸や肘折の古型を伝える佳品を作った。長男・佐藤昭一工人(昭和10年生まれ)が佐藤周助、佐藤巳之助を継ぐ三代目工人として活躍している。