『こけ仕手帖』544号より
昭和50年代の渡辺和夫こけしのほとんどは、古くからの収集家や業者が競って和夫のところに古品を持ち込み、これに応えた復元ものといってよい。古作の味をつかむのに長けていた和男は、またたく間に人気者になったのである。
昭和46年からこけしが世に出たとされているが、未だに見かけることなく過ぎている。初期作はどんなこけしだったのだろうか。興味は尽きない。いわゆる本人型と呼べるようなこけしが出たことがあるだろうか。
写真の小寸こけしは、昭和57年6月の作である。右から3寸、3.5寸、2.3寸。松屋での忠蔵庵の催しで入手した。1本たりとも同じものがない数10本から、3本並べて見られるように選んで見た。こんな小寸だと自由に作りこなすため、面白いものができる。これらの作品で一番気がつくことは、和夫の色彩感覚が秀れているということである。
右は赤を基調にして、緑を従に、中央は紫、黄色が主、左は赤、緑、胸の部分に黄色のアクセントが入る。配色が素晴らしい。表情もそれぞれ悪くはなく、遊び心で作られたかのようなこけしである。
和夫は小寸物を得意としていたようで、その後も良く見かけた。全て寸法を揃えて作られた時より、この時の寸法まちまち、形まちまち、描彩まちまちが私は好きである。
以前、「渡辺和夫のこけし」を書かせて頂いた、柴田長吉郎氏による追悼文に併せて、昭和50年代のこけしをお見せすることにしたのである。何分にも紙面が少なく、いいたいことが書けていないので、また駄文を追加したのである。以上。小川一氏著。
※ 土湯系こけし工人・渡辺和夫(昭和15年~平成17年、享年65歳)昭和46年より佐久間芳雄について木地修業。木地描彩ともに優秀で、若手に似ず古い土湯の味を充分にあらわしたこけしで、木地描彩ともに優秀であった。