『こけし手帖』平成19年9月 560号 「例会ギャラリー」より。
昭和14年渡辺作蔵工人の曾孫として生まれる。昭和46年より又従兄弟の今泉源治工人の下で木地修業を始め、本格的にこけしを作り始める。昭和50年から平成元年までは旅館経営の為、こけしの製作は少ない。平成2年から3年までは方木田でこけしつくりを再開するが平成8年よりこけし製作を本格的に再開し、渡辺幸典工人の了解を受けてキン型の復元に取組み、荒井へ移転するまでに11回の渡辺キン・シリーズを頒布する。
写真上は在庭坂の最後(平成12年6月)の頒布、渡辺キン・シリーズ11回目で左が8寸2分(花模様・木地由吉)、右は6寸2分(花模様。木地忠蔵)です。頒布の案内に「道路拡張のため、7月末をもって転居の予定です。」とありましたので平成12年7月に荒井へ移られたと思います。
荒井へ移られた後の案内によりますと「改めて心機一転、こけしづくりに打ち込みます……」とあり、こけし作りに今まで以上に力を入れていた様子が伺えます。
写真△蓮荒井へ移転後のこけしです。左から久松キン8寸5分、天江作蔵6寸6分(荒井第1回頒布)、左3.4は本人型7寸、植木キン7寸1分(木地由吉)(荒井第2回頒布)、左5.6.7は鈴木鼓童コレクションのキン7寸2分、8寸2分、4寸1分です。(荒井第3回頒布)。
平成14年4月の荒井第5回頒布、渡辺キン・シリーズを以ってその後は頒布の案内は途絶えた。
荒井へ転居した時は丁度還暦を過ぎて間もなくで恒彦工人としては木地・描彩共に最高の時期であった。以上。こけし友の会・田中厚志氏著より。