こけし友の会 平塚俊夫氏著より。
私の蒐集品の中で古品第一号となるのが今回のテーマの清蔵こけしです。
以前、当時のこけしの師匠から譲り受け、押し戴くように持ち帰った一本が写真右の昭和17年頃作の8寸です。旧蔵者の変遷で書込みが倉吉から清蔵と修正されている。暫く押し入れに仕舞い込んでいましたが、山形・作並こけしに興味が高まった頃から顔や胴模様の筆法等から、果して清蔵かしらと疑問が湧き色々と文献やら図録等と首っ引きに調べ始めた。
保存が今一つの処があり、知識の浅薄さと相俟って甚だ判断に苦しんだ。細身の胴、頭の形状が丸く細長く、割れ鼻は上部がくっ付いた松葉型で幅は狭い。目は繊細でやさしく、小さな紅で引かれた口元は雅である。胴模様は簡素化された倉吉考案の四弁の梅で模様の左右に装飾が付く。
「研究ノート」には、倉吉・清蔵夫々のこけしの、顔・頭・胴の模様の特徴が詳しく分類されているが、柴田長吉郎氏の胴模様の区分では上部の花の筆法から倉吉のそれとも推察される。又、胴最下部の葉の緑のム形ではその崩しの筆法が倉吉に近い。唯し製作年代から見て清蔵か。昭和15年から19年頃は倉吉・清蔵作が混在し、識別が難しい。
真ん中は昭和13年から14年頃の清蔵の自挽・自描の7寸、底部に山形「小林清蔵」との署名がある。保
存の良い処から清太郎の復元作と見紛う。自身も先人の指摘に拠り理解を得た。首周りのろくろ線の曲線が判断のポイントとの由。戦後は長男・誠太郎が一人前になった為、ロクロに就かず、木地は誠太郎が挽いたと云う。又、戦後は20本程描彩したとの事である。昭和32年迄清蔵名義のこけしを出していた。
左は清蔵の弟「栄蔵」の昭和12年頃の作です。某入札会で収得した物です。正末からこけしを製作し、兄清蔵の影響を受けたが、祖母ジュンから祖父倉治の描彩を受け継いでいる。頭が角張り、胴太く面描は大きく素直な筆法である。製作初期の強烈さや力強さは感じられないが存在感のあるこけしである。
以上。『こけし手帖』平成19年11月号 562号より。