『こけし手帖』平成20年6月号 569号
佐藤伝喜は、佐藤伝内を父に佐藤勘内を叔父に持つ弥治郎系こけしの名門の出の工人として知られる。兄弟に伝、伝伍がいる。
残っている戦前の作品は甘美な作風で数が少ないこともあり収集家から戦後の復活・製作再開を待望されていた工人であった。
昭和32年に若干試作の後、翌33年6月に完全復活し本格的に製作を開始。この時期の作品は大寸物を除くと胴は肩が砲弾型でそれから下が直胴、胴模様は上部が旭菊、中部に赤、紫、緑の3色を使用したロクロ線、下部は緑、赤、緑の順に横点を打ち、その周りを緑の打線で囲む模様になっている。(写真◆
ところが今年1月に私は今まで見たことの無かった伝喜こけしを新橋のこけし店で見つけた。今回持参の5本である(写真)。これらはセット物と思われる。5本すべての胴底に「昭和33年、6月佐藤伝喜」の著名がある。5本とも胴の形態・描彩が異なっている。向かって右は従来から知られた形だが一番左は肩がこそげて上下のロクロ線の間に旭菊が入り下部には一般に見られる模様が緑でなく赤で描かれている。次は胴中央部がくびれロクロ線に挟まれた胴下部に旭菊が入っている。4本目は中央部が僅かに細くなり中央のロクロ線を挟んで上下に旭菊が描かれているもの。以上。こけし友の会、河野武寛氏著より。
※ 実は河野武寛氏は、25年くらい前に、お仕事の転勤で松山に来られていた時、本棚に並べた「4000本こけし」が愛媛新聞に載ったことがあったのです。すごく感動したことを思い出します。