『こけし手帖』平成23年9月 608号「例会ギャラリー」より。
2月13日第35回秋田県こけし展で中川郁夫工人に初めてお会いしたのがきっかけで国蔵系列を調べてみた。
※鈴木国蔵 明治30年㋇湯沢に生まる。17歳の時能代工業講習所において木地を習得し、24歳ごろ独立。一時及位の佐藤文六のところで働く。昭和32年3月62歳で亡くなる。
写真,6寸5分。昭和13年頃作。作り付け胴は太く、頭部は横に張り、頂部のロクロと前髪は弥治郎系に類似。他の文献に見ない珍しい型。
※鈴木幸太郎 大正11年6月生。国蔵長男。昭和13年ごろ父に付き木地を習得、戦前少しこけしを作った。昭和24年から本格的にこけしを作る。平成1年4月66歳で亡くなる。
写真△7寸。幸太郎名義のこけし。製作年代不明である。これが国蔵型として継承されている。
写真は6寸。昭和36年の作。目鼻口が顔の上部に集まり両目の目じりが上がっている。胴は花を3個三角形に配し緑の葉で囲んでいる。この型が幸太郎本人型と言われており、年代新しくなると黒目が大きくなる。
※井川武松 大正14年12月生。昭和22年から鈴木国蔵、幸太郎に師事。昭和35年からこけしを製作販売する。
写真い3.5寸。友の会お土産こけし、切れ長の目は幸太郎の原に近い。
※中川徳二郎 昭和5年8月生。昭和38年より、義兄鈴木幸太郎に師事。昭和45年頃からこけしを製作する。秋田県こけし展の入賞常連工人である。最近こけしは作らない。
写真イ6寸、本人型。丁寧な作風。
※中川郁夫 昭和30年4月2日生。56歳。昭和48年頃から伯父鈴木幸太郎に木地を習う。同時期、父徳二郎も一緒に働いていた。農業のかたわら伯父の鈴木民芸製作所を引き継ぎ、民芸品とこけしを製作販売している。こけし木地は、修業時代からやっていた。描彩は3年前から始めた。年に何回も作らないで、一本一本丁寧に作っている。
写真Δ6寸。国蔵型、原より癖のない描彩と木地のバランスの良さは中々の佳作。
「例会ギャラリー」こけし友の会・橋本永興氏著。(参考文献・略)