昭和45年頃こけしブームが再来、勧めにより木型作りの合間に少量製作する。細工物が得意で、極めてまてで、手を抜かなかった様だ。由吉を凌ぐ精緻な描彩で細かなロクロと波型を組合わせた華麗なものであった。又、精巧な孫持ち等を残した。平成8年没。75歳であった。昨日の写真,3番目。戦後作及び写真の右2本は49年作傘8寸。土湯型と髷。
俊雄は昭和23年芳雄の長男として生れる。俊雄に関する文献は少なく、手帖546号の小川一雄氏の稿の中、矢田正生氏との交換書簡で紐解かれており引用させて頂く。
51年11月決意して本格的に木地修業を始めるとある。父の写しから始まった様だが形態や描彩共に52年から58年の短い制作期間で変化する。研究熱心で先代を超え様とするからの創意工夫がみられる。嫡流たる所以か小寸の曾孫持ち等極めて精巧な仕上がりであった。材料確保が難しかった様で小寸が多い。病気静養の為入退院を繰り返し平成14年没。53歳であった。
初期の作は眼大きく、明るく溌剌とした表情を持つが中期作は眼が少し釣上がり、髷等の飾りが精緻となる。後期は眉、眼ともに吊上がり、何かに挑むかの様な凄みを感じさせる。最後年では筆が太く、遠くを見つめるかの表情に変化する。
昨日の写真,4番目は小生が平成18年、当会の入札で入手した6寸。底面に51年冬との書き込みがある。前述の小川氏と矢田氏とのやり取りを通じ」52年1月の試作や初頒布、前の作品と言うことが判った。眼の大きさ、顔の表情等デビュー作とは一線を画す様だ。写真の3番目は52年作。
由吉から俊雄迄4代に亘り、先人達の資料を引用させて頂き綴ったが戦前戦後から現代へと時代が大きく変化していく中で、元祖の誇りと、家業を守り伝統を繋ぐことの重さ、難しさを4代のこけしを通し推し量られた。以上、終り。「例会ギャラリー」こけし友の会・平塚俊夫氏著。