『こけし手帖』平成23年12月 611号「例会ギャラリー」より。
友の会の頒布でも人気のある野地工人ですが、その作風は時代とともに大きく変化してきています。その変化が野地作品蒐集の魅力の一つとなっています。今回は昭和の作品を中心に変遷を見ていきます。
緑書房の昭和56年7月発行の「伝統こけしハンドブック」では、「渡辺和夫に師事して木地を修業、昭和52年6月26日より佐久間由吉型こけしを作っているが、きわめて優秀で土湯系のホープである。と紹介しています。
しかし、当時のこけしは由吉型というより由吉のイメージを頭に自身で作り上げた独特の作風といえましょう。昭和52年から55年あたりまでは由吉の面影は一部でみられますが、56年以降は髷や笠、山高帽子、鉄兜、シルクハットなどの被りもの、顔もいわゆる味噌玉など、胴は三角胴や太子型、マント型など変化に富んでおり、これらの要素を組み合わせた多種多様な楽しいこけし群を作り上げてきています。
野地工人がいわゆる写しものを作ったのは平成元年の「由吉鉄兜」が最初ではないでしょうか。由吉の腕白坊主のような表情を良く写しています。由吉写しを本格的にはじめたのは平成8年からだと思います。この年に西田記念館の佐久間由吉をモデルにした作品が「みちのくこけしまつり」で総理大臣賞を受賞、翌年の鳴子の全国こけし祭りでも最高賞の文部大臣奨励賞を受賞するなど大活躍で、以降現在まで人気工人の一人として良い作品を作っています。
昭和の作品は毎年のように作風が変わっています。なかには同じ年のなかで前半と後半で大きく変化しているものもあります。また、署名も時代により変化しています。当初は「土湯野地忠男作」ついで「土湯系野地忠男作」「土湯野地作」「土湯のじ作」「野地作」と変化しています。
また「作」の字体も変化していますので、これも鑑賞の一つと思います。
野地工人の作品は小品が多かったが平成10年頃から尺二寸以上の大寸ものも作るようになりました。
参考として平成元年の鉄兜写しと平成8年9年の作品並びに昭和の作品並びに昭和と平成12年までに製作された作品の写真とあわせてご覧下さい。以上。こけし友の会・河野武寛氏著より。
※ 野地忠男工人は、平成24年5月2日亡くなりました。享年80歳。現在は娘さんの野地三起子さんがこけし工人として活躍しています。