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Channel: こけしおばちゃん
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「平賀謙次郎を偲んで」

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 『こけし手帖』平成24年6月号にて。こけし友の会・平塚俊夫氏著より。 
 平賀謙次郎工人の訃報が届いた。2月14日逝去。享年92歳でした。工房で輝幸、謙一工人と三人並んでロクロに向うお元気な姿が彷彿されます。
 謙次郎さんとの出会いは30数年前、家族旅行で作並温泉を訪れ、家内がお土産として買い求めたこけしが謙次郎工人の作で我が家の第一号のこけしとなりました。爾来こけしとの関わりが始まりました。
 謙次郎工人は大正7年11月17日謙蔵の二男として作並に生を受け、昭和5年から父に就き木地を修行し、翌年、こけしや玩具を製作する。兄弟弟子には兄の多蔵、翌年応召、16年帰郷、謙次郎名義でこけしを製作する。17年結婚、以降こけしや玩具を専門に製作する。30年には動力ロクロを導入し木地が変化する。
 43年、長男謙蔵の後継者として教えを忠実に伝承し、戦前の作品は謙蔵の作と見紛う。上瞼が極端に曲がり、両端が下側に垂れ下がる。戦前作は特殊な情味があると云われている。戦後の作品は新型の影響が多く表れてくる。瞼の曲がりはなくなり、鼻は小さく、両鬢も短くなる。戦前作とは同一工人の作とは思えない程表情は甘くなる。以後作柄に大きな変化は見られない。
 写真の右側は13年作、鹿間時夫著「こけし・人・風土」掲載の謙蔵作とされたもの。緊張感が表情に漂う。写真の中側は30年作。写真左側は54年作、前述の我が家の第一号こけし。工房で謙次郎工人から作り立てを手渡しされた思い出深い、めんこいこけしです。
 5年前、山寺のこけし供養祭に参加の折工房にお邪魔しましたが、黙々とロクロ挽きに余念なく一日100本を目標とされているとのことでした。疲れると野菜畑や花畑の世話で気分転換をし、間違って奥さんの花の芽を摘んで叱られた等のエピソードも楽しい思い出です。
 3年半前、転倒による大腿骨の骨折の折も驚異的な精神力でリハビリに励み見事に復帰をされたとの由です。
 伝統工芸士、宮城の名工、平成6年には叙勲と作並の嫡流としてその伝統を守り抜かれました。後は輝幸さんがバトンを繋ぎ頑張っています。ご安心下さい。謙次郎さん本当にお疲れさまでした。合掌。

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