平成27年3月12日の夜遅く、友の会幹事への連絡で訃報に接しました。その瞬間に深い悲しみと共に今後の山形系こけしの行方を漠然と憂慮しました。
会田栄治さんとは平成21年10月に友の会創立56周年旅行会でみちのくこけしまつりを訪問した際に、旅行会メンバーと会場近くのおでん屋で昼食を共にした際に初めて親しく会話をさせて頂きました。私より一回り以上の方ですが、終始笑みを湛えて接して頂いた事が今も記憶に深く残っています。
その後、友の会創立60周年記念展示会をカメイ美術館で開催するにあたり、山形伝統こけし館が収蔵されている名品こけしの貸出に際して貴重な助言と支援をいただいた時も何時もと変わらぬ接し方をして頂き感銘を覚えました。栄治さんの人柄を表す言葉が百万塔のなかに添えられた文章に「昭和の百万塔は、遠く山形こけしの里の工房で永遠の平和を念じ復元された。」とあります。
平成25年7月の山形県こけし界総会懇親会でお会いした際に入院先の病院を抜け出して来たと言われていたので大変心配をしました。その後、昨年春にこけしをお願いした際は「もうこけしは作れない」と言われたので大変憂慮していました。
栄治さんは天童市久野本の絵師と木地挽きの環境に生れ、昭和20年より木地挽き修業を始めた。昭和24年に自宅で独立後、昭和29年に神尾長八型こけしを完成させる。昭和37年天童市に移住して現在のお店を経営する傍らこけし製作をした。
栄治さんは第13回みちのくこけしまつりで内閣総理大臣賞、第33回全国こけし祭りで文部科学大臣奨励賞、第48回全日本こけしコンクールで内閣総理大臣を受賞され、三大こけしコンクールの全てで最高賞を受賞しています。
また、永年に渡り山形こけし会会長を務められ毎年の総会・みちのくこけしまつりおよびこけし塚供養祭に尽力され、大変なご努力であったとお察しいたします。
最後に栄治さんのご冥福をお祈りいたします。以上。こけし友の会・田中厚志著より。
※ 私も、数年前、全日本こけしコンクールに参加した時。天童まで足をのばして天童市の会田栄治工人を訊ねました。相変わらずおおらかな会話で喜んでくださいました。わが家にも会田栄治こけしが並んでいます。寂しい限りです。