仙台の「玩愚庵」を買い取った鈴木清工人(1897年~1890年)は、アイディアマンとしてこけしばかりでなく、様々なこけしグッズを作り売った。お客は皆こけしを愛した人たちばかりであった。そもそも店を引き継いだきっかけは、胞吉の死後、仙台のこけしが絶えるのを心配した天江富弥氏が、清に復元制作を依頼したこと。
いつの時代も「胞吉こけし」は、仙台の、そして東北の、都会の寂しげな少女の姿として好まれ、そのけなげな少女こけしはまるで人気アイドルの様だったという。
又、鈴木清工人は、胞吉こけしを伝統こけしとしてでなく、仙台のお土産品として売った。こけし本来の姿だから、蒐集家や、一般の人にも愛された。
※ 若き日に画家を志した清工人は、玩愚庵主人となったばかりでなく、幻になろうとした胞吉こけしを復活させ、多くの蒐集家に夢を売った。写真家の腕もプロ並で、自らヌード撮影会等を催し、仙台の文化人の中心的存在でもあったという。「こけし時代」より。