遠刈田系秋保亜系こけし工人・山尾昭は、昭和2年、秋保町湯元字薬師に生まれる。昭和17年から、父・山尾武治工人につき木地挽きを習う。一時転業していたが、こけしを作った。初作の頃は、タッチ粗く自由奔放な筆致で父より大ぶりであった。当時の作品は少ない。
父武治工人(1902年~1971年)は、明治34年、山尾今朝三郎の五男として生まれる、大正5年より佐藤三蔵に弟子入りして木地挽きを修業した。そのころすでに、師三蔵はこけしを作らなかったので、兄弟子の菅原庄七工人のこけしを見て覚えたという。
昭和61年4月より、昭工人の長男・山尾広昭(昭和33年生まれ)が木地修業を始め、こけしを作っている。その後、平成8年より、妻の裕華工人と共に、こけしを作っている。