こけしは昔から、東北特有の子どもたちの手遊び人形として親しまれてきた。このようなおもちゃのこけしにも、時代による消長がある。
大正時代になると、ブリキやセルロイド製の機能性に富み、しかも安価なおもちゃの出現により、製作に手間のかかる木地玩具類は需要がなくなっていく。こけしも衰微し、消滅の危機にひんしていた。
時代の流れ、生活文化の変遷によって、おもちゃとしての役割を終えつつあったこけしを、奇跡的な復活へ導くきっかけとなったのが、昭和3年(1928年)に発行された日本で最初のこけし専門書、天江富弥著『こけし這子(ほうこ)の話』である。同書の出版により、東北に限られた地方のおもちゃにすぎなかったこけしは、全国的に知られるようになった。
同署の出版により、東北に限られた地方のおもちゃにすぎなかったこけしは、全国的に知られるようになった。
数多くのこけし愛好家が誕生し、熱心な追求、調査を行う研究家も続出した。こけし関連誌が相次いで発行され、各地で頒布会が開かれるなど、こけし収集は熱気を増していく。こけしブームを引き起こした。「癒やしの微笑み」より。
『こけし這子の話』は、こけしにとって起死回生の書となったである。この時点で、子どものおもちゃから大人の鑑賞の対象へと転じていったのです。
※私の生まれる前ですね。私の子供の頃は、セルロイドのキュウピーちゃんの着せ替えで楽しんでいましたね。