ロシアの木地玩具、マトリョーシカ人形。
マトリョーシカという名称は、ロシア女性の名前からきているといわれる。 昭和48年頃、こけし研究家の高橋五郎氏が、ロシアを旅したとき、モスクワで、こけしのような木地玩具や入れ子のマトリョーシカを昔から作っているところがあると聞き訪ねたという。当時、マトリョーシカの存在は知っていたが、ロシアの木地玩具については、全く知らなかったのです。郊外の小さな博物館を訪ねると、そこには、各種のマトリョーシカや木地玩具の類が多数展示されていて、同時に日本で作られた入れ子の「七福神」も展示されていた。
訳を聞けば、マトリョーシカは、この七福神がヒントになり、お手本となって、創作されたという。マトリョーシカは、ロシア固有の玩具人形だと思っていたが、そのルーツが日本の七福神であると聞き、初めて知ったのです。それは、明治23年頃、ロシアの宣教師によって日本から七福神が持ち帰られた経緯が紹介されていたのです。
※私は聞いたことがあります。愛媛県の松山捕虜収容所のロシア兵が、愛媛県の郷土玩具「姫だるま」を真似て作ったものだと。我が家の近くに、かなり多くのロシア人墓地があります。今も大切に守っています。