私は、いつ頃から、こけしに興味を持ったのか振り返ってみると、どこのお家にも座敷戸棚にこけしが1.2本並んでいるように、我が家にもあったように思う。そのころ、父の東北旅行のお土産に、写真の尺二寸のこけしをもらった。
いつでも、そこらにあって、私の持ち物の一つであった。四国松山では、伝統こけしについて分かるはずがない、ただのこけしだったと思う。こけしに対する一つのきっかけは。この事は何度も書き込んだが、昭和52年3月14日「新日本紀行・夢の中まで雪降るや」の番組で、湯田温泉の遠刈田系、小林定雄工人が作り出す、きりっと引き締まった顔、なんともいえない温かい微笑をたたえたこけしが、私を完全に魅了してしまった。今思い出しても、心がときめきます。
そんな時、松山のデパートにて、東北物産展という催しが、数年間来られたのです。すごく嬉しかったですね。私のこけしは、1本、2本と増えて行ったのです。
※、こけし仲間から、教えてもらったのですが、この私の原点となった、写真のこけしは、山形系(作並系)こけし工人・鈴木昭二の「胞吉型・梅こけし」と教えてくれました。、しかし、反論の方もあったが、こけし工人も、長い間に苦しい時のあったので、お土産用に作ったのかも知れませんね。でも、この一本のこけしは、私の原点のこけしなのです。