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Channel: こけしおばちゃん
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嵯峨人形

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 嵯峨人形という呼び名には、諸説あってその由来はわからないようです。しかし、こんなゆかしい人形の名前なら、由来などわからなくていいような気がします。
 この人形には、仏師か能面師の技法が入っているのでは内科、と言われています。顔の感じや、木彫に胡粉をかけて出した体の線などに、たしかにそう思われるふしがあります。
 それにしても、独特の美しさを感じさせるのが、嵯峨人形の彩色です。どこか九谷焼の色あいを思わせる、金と緑と赤の配色には、私たちにあるなつかしさを喚び起こさせるものであるようです。赤い鳥居をくぐって、黒々とした緑のなかに椿の花、といったところでしょうか。極彩色のなかにも、どこかに神々しい重みが感じられます。(唐子 明治時代 サントリー美術館蔵)。『日本の人形』参照。
 ※ 嵯峨人形とは、江戸時代初期から、京都、嵯峨で作られた木彫人形。木彫仕上げが丁寧で、金彩なども加えた盛上げ彩色を行うのが特色。首振り、舌出し童子が良く知られ、他に福神、仏教、道教関係、、、、。

八王子車人形

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 八王子車人形は、多摩川の流れに沿う八王子、恩方、小河内、埼玉などの地方に昔からあって、上方の文楽人形の三人遣いに対しただ一人で演出する人形芝居である。遣い手は小さなロクロ車に腰を下ろし、古風な説教浄瑠璃に合わせて動き回るところからこの名が出た。
 西川古柳という人が種々考案し幕末から明治にかけて栄え一時は東京の寄席なども風靡したが、活動写真などの出現で次第にもとの古巣へ舞い戻り、今では僅かに好事家を喜ばせているに過ぎない。
 一座の人形遣い達は、農業や機械などの本業をもっているが、父祖の代からうけ継いだその演技の中には、渋い郷土のにおいが漂う。あちらの御宮の祭こちらのお寺の縁日と、頼まれれば五里十里をいとわず弁当で出かけ、輿至れば夜を徹して踊り抜くところに素朴な味わいがある。
 また人形遣い達の村落ではこの人形の首や衣裳を金や暇にあかして手作りする。自分たちの女房が嫁入りの時着た晴れ着や帯をちぢめたり、水浅黄、黒、赤、紫などの木地に金糸銀糸で梅松桜菊などを丹念に縫い取ったりした。生活の間から生み出されたもので現代風の色彩はほとんど用いられず、背景も黒幕でそれがかえって人形の演出によく調和していた。『日本の人形』より。

からくり人形

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 からくりとは、日本における古い時代の機械的仕組みのこと。漢字では絡繰、唐繰、機巧、機関などさまざまに表記される。からくりが文化的に開花したのは江戸時代で、その独自性によって国際的にも注目されている。
 からくりの歴史についての記録は、『日本書紀』の斉明天皇4年(658年)に見られる指南車が最古のもので、この指南車についてはこれより古く『三国志』にも記述がる、これは台車の上に立つ人形が車輪の作動を利用し、車がどの方向に進んでも常に南の方向を指し示すというものである。平安末期の『今昔物語集』巻第二十四には、桓武天皇の皇子高陽親王(賀陽親王)がからくり人形を作ったという説話が記載されている。
 からくりの語源については、「糸を引っ張って動かす」という意味の「からくる」という動詞の連用形の名詞化といわれ、16世紀後半頃から用例が確認されている。

文楽人形

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 文楽(ぶんらく)は、本来操り人形浄瑠璃専門の劇場の名である。しかし、現在、文楽といえば一般に日本の伝統芸能である人形の人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)を指す代名詞である。文楽座の始まりは、淡路仮屋の初世植村文楽軒が「西の浜の高津新地の席」という演芸小屋を大阪高津橋南詰(大阪府大阪市中央区)に建てて、興行したのが始まりとされる。1955年に(人形浄瑠璃文楽座の座員により演ぜられる)文楽が文化財保護法に基づく重要無形文化財に指定された。また、ユネスコ無形文化遺産保護条約の発効以前の2003年に「傑作の宣言」がなされ「人間の無形文化財の代表的な一覧表」に掲載さあれ、無形文化遺産に登録されることが事実上確定したが、2009年9月の第一回登録で正式に登録された。
 ※ 人形芝居の人形は、人間の役者の代わりに人形を使ったものではありません。ある意味では人間の演技よりも人形の演技がすぐれていたからこそ、人形を使ったのでしょう。人形のような、という言葉もあります。
 

きょうは「立冬」

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  きょうは「立冬」。二十四節気の一つ、陽暦11月7日ごろにあたる。暦の上の冬はこの日に始まる。まださほど寒いというところではないが、立冬の声を聴くと、寒さに立ち向かうやや厳しい感があります。11月は冬のはじめの月。まだ寒さは厳しくはないし、晴れて暖かい日も多い。春のような日和なので「小春日和」ともいわれるが、寒さに向っていくのは間違いないといえます。
 しかし、我が家は、先日の「亥の子」の日に、炬燵を出した。夜はやっぱり炬燵がほしいですね。
 松山地方には「亥の子」という男の子の行事がある。昔から炬燵は亥の子が来たら出すという風習もあるのです。「亥の子は」は、11月の「亥の日」に、今年中に男の子が生まれた家々を「~~~サーエンシノー」と歌いながら「亥の子石」搗いて回り、無病息災を願うのです。しかし、現在は、庭や道路も舗装されているので、藁の亥の子を搗いて回ると聞いている。しかも、なかなか男の子や子供も少ないのでむつかしいそうです。、、、さみしいですね。
 写真は我が家の「つわぶきの花」です。養母が好きだったので庭を壊した時に移したものです。
 つわぶきの花は、艶のある大きな葉を持っており、毎年秋から冬に、キクに似た黄色いはなをまとめて咲かせる丈夫な花です。11月頃になると、必ず、グーンと茎がのびてきて黄色の花を咲かせるのです。

五月人形

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 五月人形とは、男子の誕生を祝うとともに、無事に成長し、強く、逞しく、賢い大人になるようにとの願いを込めて、5月5日・端午の節句に飾る人形です。
 五月飾りは家の中に飾る「内飾り」と屋外に飾る「外飾り」に大きく分かれます。
 内飾りには、現在、メインとなっている鎧または兜飾りがあります。また、子供の人形に鎧を着せた若大将といわれるものや、以前は五月人形の代名詞のように言われた桃太郎や金太郎、神武天皇や鍾馗の武者ケース入りがあります。
 外飾りは、鯉のぼり、武者幟で、鯉のぼりは立身出世を祈るためのもので、将来の無事の成長を祈るための内飾りと、質も意味合いも違うので、できれば両方を飾ることが望ましいとされています。
 お子様が逞しく、健やかに育ってほしいという「願い」「想い」を込めて昔から端午の節句には、男の子の成長をお祝いして「吊るし飾り」を飾ります。
 ※ 昔、メンコの絵柄に、よく武者が扱われているのを見ました。いま、子供たちの英雄は、テレビの怪獣番組に登場する正義の味方です。しかし、正義の味方であることにおいては違いはありません。
 写真「神巧皇后 江戸時代 大阪市立博物館蔵」『日本の人形』参照。

土人形と木彫人形

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 土人形や木彫の人形にも、風格あふれる名品があります。どんな人が作ったのでしょうか、作品の良さが、おのずと持ち主に大切にさせるような土人形や木彫人形。素材のおもしろさを、高度に生かしたものです。
 土人形は、日本古来の伝統工芸品人形で、低火力の素焼きに胡粉をかけて泥絵具で彩色をした人形であり、素直な味わいが多くの人々に愛されている。京都の「伏見人形」、福岡の「博多人形」が代表的な土人形である。写真は「奈良人形・葵の上」 江戸時代 西沢人形玩具研究所蔵
 

「東北地方の玩具たち」

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 東京こけし友の会より送っていただいていた「東北地方の玩具たち」に行ってきた。
 「東北地方の玩具たち」は、10月8日~11月28日まで、奈良県天理市にある天理大学付属「天理参考館」で開催されています。奈良県天理市は、奈良より電車で少し移動すれば天理、天理といえばといえば高校野球の強いところで知られていますが、天理は宗教都市であり、遺跡もあり、盆地もあって奈良の町並みなのですが、天理教本部を中心とした独特な町並みが続き異様な感じがしました。
 会場の天理大学付属の天理参考館は、世界各地の生活文化資料・考古美術資料を収集・研究・表示する博物館です。それは驚くばかりの立派な博物館(写真)です。
 展示の東北の玩具たちは、まず、古来より良質の馬の産地として人と馬の関わりが密接であったため、三春駒やチャグチャグ馬コなど多彩な馬の郷土玩具や、堤(宮城)、相良(山形)、花巻(岩手)の東北の三大土人形等々、さらに湯治客のお土産として作られた伝統こけし、紙粘土人形、懐かしい、昔の豊かな時代を思いおこす生活道具等々、豊かな気持ちになったのです。
 この展示会は、「東日本大震災を忘れない」そして、今年の熊本地震の特別企画展でもあったのです。

「東北のこけしたち」

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 天理大学付属の「天理参考館」に展示されている「東北地方の玩具たち」の中には、今回の企画展では、私の大好きな伝統こけしも展示されているのです。
 東北地方を代表する人形といえば、堤人形や相良人形、花巻人形などの土人形や三春や仙台の張子玩具があるが、木の素材の代表格といえば、やっぱり「こけし」でしょう。こけしはミズキやカエデなどの木をロクロを回転さて挽き、伝統的な模様を描く郷土人形です。丸い顔と円柱形の胴体というシンプルな形ですが、胴体に描かれる抽象化された花模様や、あどけない画相に心惹かれます。
 東北地方は、豊かな森林資源に恵まれ、山間部では木地業が盛んでした。良質な原木を求めて移り歩く木地師と呼ばれる人たちが、江戸時代に仙台藩など藩の保護を得て定住して集落を形成し、盆や椀の塗り下地を作るようになった。そしてこけしも、、、、温泉湯治場のみやげものとして生れたこけしは、木地師たちの技術を生かして売られるようになった。湯治場のみやげとして商品になったこけしは、近隣の湯治場に広がり、それぞれの地域の木地師が工夫を凝らして、産地の風土や生活と互いに影響しあって、形態、構造、描彩の様式に特色が生まれたのです。これが”系統”と称されて現在11系統に分かれているのです。私にとって、愛してやまない伝統こけしなのです!

昭和の「こけし手帖」

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 月刊誌「こけし手帖」の購読料を振り込んできた。もう年末になったのですね。「こけし手帖」をさかのぼって見てみた。私が最初に「こけし手帖」を求めたのは、昭和55年1月号 226号(写真)、現在 は670号11月号だからもう30年間読み続けているのです。偉そうなことですが、はじめのうちは、なかなかむつかしくよく解らず、読んでいなかったように思います。ずーっと購読料も変わらなかったように思います。ただ、ただ、最近ではなく十数年前になるが、大変な時期があって、会員で切手とか集めた時期があったのです。
 内容を見てみたら、懐かしい西田峯吉氏の記事、名工・佐藤丑蔵ご夫婦の写真、輝いている 井上ゆき子工人等々、、、。ほとんど亡くなられている工人や、投稿者などがいて懐かしい!
 そして、私が一度は参加したいと思っている「こけし手帖の例会」には、参加者102名が明記されている。こけしの第二次ブームの頃だったのでしょう。参加者には、今もこけし祭りでお会いする方も数人いますし、その娘さんもいます。すごいです。例会頒布こけしの写真のこけしは、すべて亡くなられている工人さんのこけしです。
 私自身、歳を重ね「伝統こけし」について勉強もしてきたし、慣れてもきたので、読んでいると今は良く解ります。実に懐かしく興味深いです。読み直してみようと思います。

中央アジアのろくろ細工

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 こけし手帖の、229号に中村勝治氏の「中村隆正氏の帰朝談より」が載っている。それは、
 「回教圏にはこけしが生まれないこと。パキスタン・アフガニスタン・イランなどの回教(イスラム)圏各地を一年有余に汎ってドライヴ旅行してまわったが,何処でも木工のろくろ工房に出会うことはなかった。中央アジアの各地は、乾いた国々で雨も水も乏しく、森林や緑がない。木の文化が育つ基盤が乏しい。その上、回教は偶像拒否の宗教であるから、人形というものがない。こけしの様な人形もまず望めない。
 ※ ブータンには二人挽きろくろがあること。ネパールに滞在していた頃、ブータンから来ていた王族一族と親しくなり、その口からブータンでは日常の食器や容器には木製品が多く使われ、器の上等なものは日本と同じ漆で仕上げられているということを聞いた。国内にはこれらを作っている二人挽きろくろがたくさんあるということであった。ブータン人の言語や風習の中には、日本と似たものが多く、かつて日本人の起源がこの地方だという説が発表されたこともある。ベンガル湾から北に吹き上げられてく湿気を含んだ熱風が、ヒマラヤ山脈にぶつかって、多量の雨を降らすところにブータンがある。したがって樹木も多く、古くから木の文化が育ち、ろくろ工法などが生まれる素地も充分考えられる。」
 

チベット・インドその他の木工品

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 ※ ブータンやネパールの北隣りにあるチベットで、首都のラサに大きな木彫寺院がある。ラサから来たチベット人に木工品について聞いてみる。とこらがチベットは、ヒマラヤ山脈に南を遮られて、雨も少なく樹木も乏しく、木材の多くはヒマラヤ南方の地から求めるものだという。チベットにも木の文化はあまり育っていないという。
 ※ インドおよびその他の国の木製人形は、インド各地で見かける人形は、大部分は彫刻品で、ろくろ仕上げではない。木彫品の中にはなかなか精巧なものもあり、カルカッタはじめ東インドの角地で、こけしまがいのろくろ挽き人形を売っているのを時折見る。
 中近東を廻ったのちヨーロッパに立ち寄ったが、オーストリー・スイス・ドイツなどの雪深い山岳地方には木製人形が作られていた。しかし殆んど木彫人形であった。ただ僅かであったが、旋盤機械(ろくろ)で仕上げたらしい人形も混じっていた。 
 「こけし手帖」 229号、「中央アジアのろくろ細工」中村勝治氏著 参照。
 

「袖珍こけし」というこけし

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 「こけし手帖」昭和55年4月号より。
 「戦後版・袖珍こけし」柴田長吉郎氏によると「戦前に東京こけし会が一寸こけしを(袖珍こけし)と名つけて頒布した。豆こけしは鑑賞の対象としては小さ過ぎるが、また一面大寸には見られない面白さがある。私は小寸こけしに興味を持って、機会ある毎に工人に頼んで作ってもらった。大きさは一寸五分に統一して集めたが、なかなか集まらなかった。最近、中屋惣舜氏が「木の花」に袖珍こけしのことを書き、また『袖珍こけし図説』という豆本を出された。勿論すべて戦前の豆こけしであるが、私のコレクションの中に、この図説に掲載されている工人の作がいくつかある。戦前と戦後と、同一工人の作が、どう変わったかを見ると、非常に興味深いのでご紹介することにした、、、、、つづく」。
 ※ 私は、小寸こけしのこと「袖珍こけし」を知らなかった。昭和55年頃、松山のデパートの「東北物産展」に弥治郎系のこけし工人さんが五本セットで持って来られていた。とても可愛らしくて、毎年セットで求めたのです。もう30年も前のことです。現在は小寸こけしはあまり見ないですが、我が家には、4.50本ぐらいまとめて置いています。
 ※ 柴田長吉郎氏は、こけし手帖の責任編集人です。写真は、数年前にカメイ美術館で撮ったものです。

大王製紙女子ゴルフ

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 待ちに待った「エリエールレディースオープン」が始まった。松山地方は、昨夜からの雨もやっと止んできた。お天気の様子をみて、昨日、レディース第二日目を見てきた。予選第二日目ではあったが、今年は、風もなく暖かかったので、かなりの人でにぎわったていた。前日からのお天気で芝生も乾いていて、じっくり座って観戦することができた。今季2勝をあげているテレサ・ルー(台湾)がボギーなしの10バーディーで回り、通算15アンダー、129で5位から単独首位に躍り出た。さすがです。2打差の2位に森田遥がつけ、さらに1打差の3位に前日トップの原恵里菜がついた。
 首位と4打差の4位が大山志保、菊地絵理香ら5人で、2年連続の賞金女王を狙うイ・ボミ(韓国)は通算6アンダーの16位。3アンダーまでの54選手が今日の決勝ラウンドへ進んだ。まだまだ分からない!今日と明日でどうなるかわからない!テレビで観戦しよう! 
 一番応援していた2013年の賞金女王でこの大会で優勝もしたことがある森田理香子は惜しくも予選落ちしたのです。勝みなみ選手、笠りつ子、申ジエ、木戸愛、等々、テレビで見ている選手が目の当たりで見えるのです。この大会日は女性が多く観戦します。いいですね。来年は香川県で、そして福島県でと続きます。また次の大会まで元気でいたいものです。

今年の賞金王

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 大王製紙エリエール・レディース最終日は昨日、エリエールGC松山(6474㍎、パー72)で行われ、首位から出たテレサ・ルー(台湾)が72ホール最少スコア記録を3打更新する通算24アンダー、264で今季3勝目、通算12勝目を挙げた。優勝賞金は1800万円。その他真っ赤なBM自動車、他いろいろ、、、、。すごい!
 しかし、優勝はしなかったが、最終日、通算9アンダーで26位のイ・ボミ(韓国)が2年連続で賞金女王となった(写真)。
 歓喜で目を潤ませた昨年とは違い、愛称「スマイルキャンディ」そのままの笑顔。今やツァーの顔となったイ・ボミが2年連続で賞金女王の座についた。「今年の方がしんどかった。本当にうれしい」と白い歯をのぞかせた。リオデジャネイロ五輪出場を最大の目標とした今季。序盤は出場11試合連続でトップ5に入るなど、史上最高の2億3千万円超を稼いだ昨季を上回る勢いだった。だが、世界ランキングを上げるために米ツアーにも出場し、厳しい日程で疲労が蓄積して途中棄権する試合もあった。五輪出場の夢はかなわなかったが、かつて現役引退する年齢と思い浮かべていた28歳に黄金時代を迎えている。「愛媛新聞、スポーツ欄」にて。
 ※ 予選から4日間、真剣に全力でプレーする若い女子ゴルフ、最終日にはへとへとになるでしょうに、少しもそうゆう姿は見せないでプレーをしている姿に、毎回感動しいます。頑張れ!

「昔も今も」 №1

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 「こけし手帖」友の会二代目・武田利一氏の記事を見つけました。それは、昭和18年5月に発行された東京こけし友の会の機関紙「こけし・第26号」に載っているものです。
 ※「静寂として楽しむ」
 風鈴がなるのは、風が鳴るのでしょうか、鈴が鳴るのでしょうか。風が鳴るのでもなければ、鈴が鳴るのでもありません。それは、心が鳴るのだそうです。心が何故鳴るのでしょうか。何故という訳でもなく、寂しく静かな中に鳴るのだそうです。
 こけしには好さもなく、人に趣味もありません。
 煙草を喫うてみて、好きな人は美味しいと喜び、嫌いな人はニガイと顔をシカメます。煙草には、味などありません単なる葉っぱであります。吸う人の心の中にこそ、美味もあれば、ニガイもあるものなのです。
 こけしも又その通り、好くもなければ、悪くもなく、単なるデクの棒であります。見る人の心が現われるだけです。心が深ければ深く、浅ければ浅いものです。深淵は寂しく静かにして、浅瀬はしきりと騒がしきものであります。棚に千本のこけしを並べても、心に一本のこけしだになければ淋しき限りです。寂しいと淋しいは、久四郎とその模索ほどの違いがあります。
 近頃の満員電車に乗りますと、想はず目に角が立ちます。そんな時、心静かに目を閉じます。瞼に可憐なこけしの姿が浮かびます。再び目を開きます。押す人押される人がみなこけしに見えて楽しいものです。あれあれ久四郎が潰された。善吉が睨んでいる。※久四郎、善吉は、こけしの名工です。つづく。

昔も今も №2

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 「こけし手帖」友の会・武田利一の記事。つづき、、、。
 「昭和18年は、私の28歳の時ですが、それにしては禅坊主みたいなことを書いたものです。しかし、当時は大東亜戦争下で、一億国民火の玉となって、老いも若きも神懸り的な愛国心か、仏教的な人生観に燃えており、ラジオの放送などでは吉川英治の「宮本武蔵」が、徳川夢声の名調子で人気を博していた時代だったので、私なども人並みんに求道心を燃やしていたのです。
 そんな私も”何時までも若い”つもりでいたところ、老齢年金がもらえる年齢になってしまい、支給されるお金で、春秋二回の友の会産地訪問の旅行におかみさんと一緒に参加しても、お釣りがくるのだから有り難いが、ちょっと淋しい気もする昨今です。
 淋しいと言えば、この頃はよく仕事のこと、道楽のこと、果して一筋の道を悔いなく歩いてきただろうかなどと、考えてみるようになりました。そんなとき、馬鹿の一つ覚えで、フイルムを継いで45年、こけしを蒐めて40年、二つ併せて85年の絵模様が、頭の中を走馬灯のように去来いたします。そこで仕事の方は関係ないので通過させて、道楽の部分に焦点を合わせてみましょう。 
 よく”初心忘るべからず”と言いますが、私は”こけしの好さは、観る人の心の中にある”という初心一筋を歩んできております。」つづく。
 ※ 今年の鳴子こけしまつりで、ホテルで同部屋で一緒になった同年齢の女性が、武田利一の娘さんでした。親子でこけし収集家なのです。羨ましいですね。

昔も今も №3

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 「こけし手帖」友の会二代目会長・武田利一氏も記事より。つづき。 
 「こけしの真の良さは、姿形の形、描彩の彩、表情の情の中にあるのです。したがって、形、描、表にこだわっていては、真の良さはわからないのです。例をあげると、近頃流行の写しこけしなど、形も、模様も、目鼻も、本物そっくりなのだが、何か物足りないものが大半です。
 戦後、私たちは、新型こけしとこけしの混同を避けるために、伝統こけしという呼称を用いました。また、新型に影響された工人に、父祖の良い作品を復元させて、それなりの成果をあげてきましたが、その惰性は伝統型こけしが横行するようになってきました。」※ 最近のことを多く書くと、当たり障りが生じるので、転載文の点描で稿を埋めてゆきましょう。
 戦の最中にこけし道楽・・・フイルムを継いで45年、こけしを蒐めて40年、二つ併せて85年の絵模様が、頭の中を走馬灯のように去来します。・・・と書きました。(昭和18年3月)

高知の「伝統こけし展」

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 「こけし手帖」237号(55年10月号)より。 
 「高知の伝統こけし展」高知県安芸郡の小松茂代さんの投稿文です。
 ※ 昭和55年10月15日より20日まで高知市の近森人形店で開かれました。広告を見た時は信じられなかった。高知からは、東京や東北地方へは、心はどんなに羽ばたいても、実際はそれっと飛びたつわけにもゆかないのです。実物がまじかに見られるめったにないチャンスなのでとても嬉しかったのです。
 展示場には、近代こけしのコーナーもあったが、系統別伝統こけしを見て行った。見事に並んだこけしを見渡すと、顔、胴模様、形態等の特色がはっきりわかり、蒐集の面白さを再確認しました。有名工人の作品展示コーナー、年老いても力量感のある作品、「こけしの美」等で私の見覚えのある何本かのこけしが頭に浮かびました。長い間欲しかった「秋山一雄」のこけしを手に入れました。赤と緑のリボンが顔の表情と共に強い個性を主張しているように思います。久しぶりにささやかな私のコレクションに仲間入りすることになった数本のこけし達。可愛さが日毎に増してきます。いつまでも手元に置いてやりたいと思います。 小松茂代記。 
☆ 秋山一雄(昭和10年~平成3年)蔵王系こけし工人。
 
 小松茂代さんは、こけしサロンに毎号投稿していた方です。同じ四国からこけしフアンがいるというので、気になっていましたが、最近は、全く投稿していないので、どうしたのかな?と気になっていました。この文は、昭和55年の投稿文だから、もう:ご高齢になっていられるのかもしれませんね。誰かご存じでしょうか?

 

こけし社会の行事

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 「昭和55年の回想」こけし界の権威・こけし友の会の発行人、西田峯吉氏の記載文。 
 ”こけし社会の行事”
 この一年間に行われたこけし関係の行事のうち、私が比較的関心をもったものを次に抽出する。
 ㈠・弥治郎のこけし初挽式・1月2日。初挽奉仕者・白石の石川篤次郎工人。
 ㈡・百貨店新年催事・1月4日から。「新春こけし展めぐり」◎千葉駅前そごう百貨店。◎上野京成百貨店他、11ケ所以上で実演と即売でいずれも大盛況。 
 ㈢・土湯薬師こけし堂ご祭礼とこけしまつり・4月20日。「カメラルポ土湯讃歌」
 ㈣・日本こけし館落成式・4月25日。
 ㈤・第25回全日本こけしコンクール・白石市において5月3日から7日まで。このあと名古屋展(5月23日~28日)、東京店(6月10日~15日)、仙台店(8月5日から1日)。
 ㈥・木村弦三コレクション・幻のこけし展・弘前市立博物館において・5月18日~6月22日まで。
 ㈦・山形県こけし会総会・上山市において・7月5日。
 ㈧・桜井昭二と第八回伝統こけし三十人展・小田急百貨店において・7月18日から23日まで。
 ㈨・第26回全国こけしまつり・鳴子温泉において、9月7日から9日まで。
 ㈩・弥治郎小野宮惟喬神社秋大祭・10月9日。
 ⑾・遠刈田惟喬まつり・10月11日。
 ⑿・第十二回こけし塚供養祭・山寺こけし塚前広場において・10月18日。
 以上の行事のほかに、それぞれの地域社会を背景として行われた多彩な行事がある。 
 
 ※ もう三十年以上前のこけし祭りなど、愛してやまないこけしフアンのお祭り、行事は今なお続いているのです。感動ですね。
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