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Channel: こけしおばちゃん
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「第25回全国伝統こけしろくろまつり」

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 『こけし手帖』平成25年12月 635号より
 「ろくろまつり」は平成25年10月5日(土)6日(日)の2日間、宮城県刈田郡蔵王町遠刈田温泉・みやぎ蔵王こけし館で開催された。
 5日 カメイ美術館での高橋五郎氏講演会に友の会の旅行会一行と参加、同日開催となった、「みちのくこけしまつり」に行く皆さんとはここで別行動となり一人遠刈田温泉へ向かう。 
 5日18時より「旅館三治郎」で祝賀懇親会が行われ、こけし愛好家、行政関係、こけし工人の約50名が参加した。今年、組合理事長は佐藤一夫さんから佐藤勝洋さんに交代、新体制で臨むと挨拶があった。懇親会が始まりお酒も入る中、それぞれの場所で、お互いにこけしに付いて熱く語り合う場面が見られた。
 若い女性のこけし愛好家が増えてきていることは、各産地共通の認識になったようだ。こけし界の発展を誓い合う一本締めでお開きになった。
 6日はあいにくの雨であったがおまつりの人出はまずまずであった。
 こけし館では、招待工人の津軽系阿保六知秀、木地山系高橋雄司、肘折系鈴木征一、作並系平賀輝幸、弥治郎系新山吉紀の5工人が実演していた。来館者に丁寧に対応し楽しそうにしている工人さん達の姿を見る事が出来嬉しかった。各工人さんとも売り上げは上々と聞いた。
 地元工人の熊谷裕太、達曽部早苗、日下秀行の3名は今年の3月から一人立ちした。館内をこまめに動き回り来場者に対応している頼もしい姿が印象的であった。
 ベテランの佐藤好一、佐藤一夫、佐藤英裕工人の顔を拝見できなかったのは寂しかった。
 旅行会が行った山形の天気を心配したが、参加メンバーより蔵王山頂は好天と聞き安心する。バス停近く、独りコーヒを飲み終え、バスに乗る。以上。
 我らのこけし友の会・会長 橋本永興氏の報告書です。

「南部系こけし」

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 伝統こけしの中でも不思議なこけし・南部系こけし。
 写真のこけしは、南部系こけし工人・松田弘次(ひろじ、昭和13年生まれ。)の作品です。
 弘次工人は、父、松田精一工人および安保一郎工人の下で木地修行を初め、昭和45年からこけし製作を行う。
 弘次工人は木地挽き松田家の六代目に南部系の無彩キナキナ(キナキナ坊)を製作する。
 キナキナは幼児の玩具であったと言われており、父で師匠の精一工人は「幼児の握れる太さが本来のキナキナだ。」と言われ、松田家のキナキナは胴の下が細く絞られている。
 最近のこけしコンクールでは平成24年の第54回全日本こけしコンクールで入賞している。
 平成23年2月、こけし友の会の例会では、七代目の息子、松田晋工人のおみやげこけしを出席者へお渡ししましたのでお持ちの方は見比べてみるのもいいですね。
 おみやげこけしは、松田家を代表する胴下が細く絞られ、木の年輪の一部が僅かに浮き出る大変美しいフォルムの無彩キナキナです。底にはキナキナ坊と書かれています。松田家系のキナキナは首が振れ無いタイプです。
 南部系こけしを製作する工人は減少傾向にある中で伝統を継承し美しいこけしを絶やす事無く継承して頂きたと思います。

『絆のこけしびな』

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 平成25年3月12日、愛媛新聞のスポットに「絆のこけしびな」が載った。それは土湯温泉生まれの巨大なこけしびな。身長1メートルを超え、体重80キロ、鬼北町と土湯温泉観光協会の交流が縁で、一年がかりで作られ送られてきたこけしです。(写真)。
 鬼北町は、愛媛県南予地方の町で四万十川の上流、広見川流域の中山間地帯に位置する町です。早速行ってみた。ところが驚いたことに、作られた土湯温泉の陳野原幸紀工人が来られていて、テレビのインタビューを受けていたのです。私は白石こけしコンクールに行くと、土湯温泉に必ず立ち寄り、西田記念館、アサヒ写真館、そして陳野原幸紀工人のお店「ひさご」にて、工人手づくりの山菜そばを頂きます。
お互いに驚き再会を喜び合いました。感動のひと時でした。
 なぜ鬼北町と土湯温泉が…。それは、平成17年から19年に「町おこし友好地域協定」を締結し、町の特産品である「鬼北熟成キジ肉」を土湯温泉のメイン料理とし、お互いの地方地域経済の発展に貢献する事を目的に交流を行っているのです。
 その関係で東日本大震災で土湯温泉も大きな被害を受け、その年の六月、「土湯温泉・がんばろうプロジェクト」が開催され、鬼北町の「キジうどん」「キジ串焼」「ゆずジュース」を提供し、被災者の皆さまに大変喜ばれたのです。昨年の土湯こけしまつりには、「鬼北のちんどんや」が招待され、交流支援を行ったのです。まさに「絆」ですね。遠く離れた東北と愛媛の山間地帯の鬼北町が繋がっていたのです。すごく嬉しく思います。以上。『こけし手帖』平成25年8月号に寄せた私の拙文です。

「銀山温泉の独楽エジコ」

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 『こけし手帖』平成26年4月 639号より。
 銀山温泉の初代木地屋、伊豆定雄は明治38年の生れ、大正から昭和13年まで鳴子系の形態に蔵王系のオカッパ頭の愛らしいこけしを作り、弟 護、その息子 徹に引き継がれている。
 その伊豆定雄のエジコを入手した。(写真◆法D招臓高さ共に8cmの大きさで、胴はくり抜いて中にガラが入っており、また頭は南部系のキナキナのような抜け首で、振るとカタカタと軽やかな良い音がする。
 縦長の頭に中剃りのあるザンバラの黒髪で、タレ目の大きな瞳が何とも愛らしい。胴上部の山は大きく盛り上がり一面を赤で塗っている。胴には旭菊を上下に3輪配し、間には緑で葉と水の流れを描いている。何とも玩具っぽい逸品である。。
 さて、このエジコ、座りが悪いので何気なく廻してみると、実に良く回る(写真 法E蕁△り抜いた胴底に嵌めた蓋の中央部が膨らんで偶然このようになったと思っていたが、どうも意図的にそうしたように考えられ、銀山に徹さんを訪ねて見て貰った。結果、独楽としても回せるように作ったエジコだろうということになった。そこで、徹さんに同じようなエジコを復元して貰った(写真)。
 銀山温泉のお土産の一つとして残して置きたい木地玩具である。以上『例会ギャラリー』より。
 こけし友の会・国府田恵一氏著。
 

「小さなこけしフェア」

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 『こけし手帖』平成26年4月 639号より。
 東京の西、瑞穂町の大型ショッピングモールのチラシが1月末入った。新入学準備、ひな人形、つるしびな等時節がらカラフルなものであった。
 孫たちも大きくなり入学や初節句のお祝いもすでに終わっており、かたづけようとふと目を落とすと下段の小さなスペースに「こけしフェア」の文字、はがき半分程度であったが鳴子こけし数本とおひな様が二組、車菊の胴模様を入れる大沼英顕工人の手の様だ。
 さっそく出かけてみると「こけしフェア」の大きなのぼりが目に付く。隣の大きな京の職人がつくったというおひな様とたくさんのつるしひながにぎやかに飾られた場所のとなりに、畳一枚位のスペースに柿澤工人一家のこけしを中心に鳴子工人達のこけしとえじこが並ぶ。
 反対側の一面には桜井昭寛工人のおひな様が数種類、もう一面はマトリョーシカとコケーシカが飾られ、「こけし時代」の鳴子特集が置いてあり、こけし関係の雑貨等が並べられていた中に数本弥治郎系や木地山系のこけしもみられた。中でも柿澤是隆工人のおてんばこけしが会場をみわたす様にすっと立っていたのが印象的で思わず笑ってしまった。
 しばらく見ていると小さなお子さん連れの家族が「オリンピックの人形だね」といいソチオリンピックの開幕間近だったこの日、テレビで見られたマトリョーシカが目にとまったのだろう。
 東京のオリンピック開催も決まり「日本を代表する人形は、博多、京人形なのかな、でも私の好きな黒石のこみせ通りや、津軽こけし館周辺のこけし、ねぶたがいいのにな」等思いをめぐらしながら帰ってきたが、そんな事よりこちらが元気でいられるかを心配した方がよさそうだ。
 産地から遠くはなれた東京の多摩西部の町に鳴子のこけし達が来てくれ、思わず来年は実演に来てくれたらいいのに、お願いしたいです。そうして、もう一度こけし達は今どうしているのか、のぞいてみよう。以上、こけし友の会・大原裕子氏著より。
 ※ 愛媛松山に住んでいる私には羨ましいことです。

第38回秋田県こけし展 №1「犬っこまつり」 

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 『こけし手帖』平成26年4月 639号より。
 第38回秋田県こけし展は平成26年2月8日(土)9日(日)、湯沢市市民プラザ一階で開催された。また湯沢市犬っこまつりが開催されていてこけし展と合わせて楽しむ事が出来る。私は昨年に続き日本でも屈指の東北の豪雪地帯に、雪と秋田のこけしを見たくて訪問した。
 2月8日(土)朝6時自宅を出発。関東地方大雪警報のなか降り始めた雪を踏み鳴らし駅へ歩く。東京発7時32分秋田新幹線「こまち」に乗る。新車のEー6系紅い車体に満足し、途中くりこま高原駅を過ぎた左の車窓から雪をかぶった栗駒山系の大きな山容が眺められ、あの山の向こう側がこれから向かう湯沢であり、木地山系こけしの聖地秋田木地山を想う。
 雪による遅れを心配しながら大曲に到着。奥羽本線に乗り換え12時07分湯沢駅に無事定刻に到着。ホームには2mの雪が積まれている。さすが雪国、雪の洗礼を受ける。早々に駅に隣接した「犬っこまつり」会場に行く。すごい賑わいで家族連れが目立つ。地元の企業や商店のテント張りの露店が軒を連ね、のぞいて見るとローカル色が楽しい。ひと通り雪像を見て雪国のパワーに圧倒させられる。
 昼時でお腹も空き、三梨牛の串焼きを食べる。三梨牛ブランドは三春工人の自宅の町で育てられていると思うと脂がのっている上にさらに美味に感じられた。続いて地元の有名な稲庭うどん、佐藤養助は注文のうどんを調理用の特殊車で作る。客は湯気の立つ丼を持ち隣の特設テントの丸椅子に腰掛け温かい稲庭うどんを食べる。仕上げは酒どころ湯沢の酒造メーカーのテントで、試飲をどうぞとの呼びかけに冷酒二杯ほどご馳走になった。お酒好きは絶対立ち止まりたい場所と思う。そのまま、こけし展の会場・市民プラザに向かう。こけし友の会々長・橋本永興氏著・つづく。

第38回秋田県こけし展 №2

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 こけし展の会場・市民プラザに向かう。会場は湯沢駅を背に除雪された道を1本目の国道を渡り2本目を渡り左折して50m程である。「秋田県こけし展」の主催は秋田県こけし工人会、湯沢市、後援は秋田県、秋田こけし界、新聞、報道各種など例年と同じである。
 会場は入口から受付、会計、ロクロによるこけし製作実演、こけし即売、絵付け体験、こけし展受賞こけしの展示。隣には特別展「阿部平四郎・追悼展」で26点の遺品が飾られていた。拝見すると平四郎工人の作品に表れた人間性の素晴らしさに改めて感じた。写真
 今年は昨年よりさらに来館者が増え、昨年と同様に初日会場前に整理券を出すほどの盛況であった。
 若い女性のこけし愛好家が目立ったなど三春文雄会長からお聞きしました。
 会場に詰めていた工人さんを撮る。写真△蓮⇔鷄Δ茲蝓⊆禿栂鋲鷙人(川連町)・昭和19年11月生。今回から参加。父は柴田鉄蔵。次は、北山賢一工人・「肩の力が抜けた」こけしを披露、木地山系米吉型、泰一郎型など皆素晴らしい作品であった。次、櫻田一二工人・お元気でした。次、本間功工人・泰一郎型など木地山系の佳作を作る。木地・描彩とも優秀。次、菅原修工人・(本荘)・今回新作も拝見した。意欲的に製作に励んでおられる。次、三春文雄工人。次、阿部木の実工人、作品は木地・描彩とも素晴らしかった。父 平四郎さん亡き後、母 陽子さんと平四郎こけしつくりを末永く続けていただきたい。次、高橋雄司工人・お元気で、お客さんとの語らいを楽しんでおられた。
 他には沼倉孝彦工人はこけし展の準備に携わりお忙しそうであった。新作のこけしをお願いしてきた。頒布が楽しみ。他、中川郁夫工人は犬っこまつり会場の露店でこけしを売っていた。安部陽子工人と阿部市五郎工人は会場から外出されてお会いできなかったのは残念であった。つづく。
 こけし友の会々長・橋本永興氏より。

第38回秋田県こけし展 №3

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 今年のこけし展の最高賞秋田県知事賞は三春文雄工人が受賞。木地山系小椋泰一郎型絣模様の前垂れこけし。元来三春文雄工人は原のこけしを忠実に復元するのが基本の考えとして伝統こけしを製作している。その中に自分の気持ちを表現した優秀な作品である。
 ※ 北山賢一工人と会場での会話。
 北山賢一工人は昭和22年7月生で66歳になる。阿部平四郎さんに付き昭和46年から10年間修業した。「修業時代は師匠からいつも叱られて、いつ辞めようかと考える毎日であった。修行の教えは自分の(平四郎師匠の)心を掴めと言われた。始めは一生懸命に師匠のまねをした。やがて自分でこけしの原を見て作れるようになった。朝早くから夜遅くまで休み無く一生懸命働いた。」
 「こけしを始めたきっかけは、自分は川連ではなく平鹿町浅舞なので地域が異なるが、平四郎さんのこけしを見て感激し、平四郎さんに付きこけしを始めた。こけしの種類は泰一郎型、米吉型など100種類位作った。」
 「子供を育てる時には稼がなければと邪心が有ったが、今では真面目(純粋)な気持ちになった。今までのこけしにとらわれていた気持ちが無くなり、無心の気持ちでこけしを作れるようになった。」
 「自分は固めの太い筆で面相を書いている。筆のスピード、力の入れ具合で、昔のこけしのような味が出てきたと思っている。4寸以下の小寸でも新しい人達(若い人)のために作っている。」写真△亘婿蓋一工人の小寸こけしです。
 「昔のこけし(戦前の泰一郎、米吉、石蔵など)は無心な筆の使い方で昔の(当時の)少女を表しているのがよくわかる。それに近づこうとこけしを作っている。」
 北山賢一さんがこけしの極意を会得した気持ちになったこと。昨年2月25日亡くなられた師匠の阿部平四郎さんの領域に達するように努力をしていると聞き嬉しかった。
 当日は湯沢のホテルが取れず、横手に宿泊になり9日横手より奥羽本線で雪の雄勝トンネルを抜け及位駅を通り新庄経由で帰郷した。おわり。こけし友の会々長・橋本永興氏著より。

新山栄五郎と栄助のこけし

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 『こけし手帖』平成26年5月号 640号「例会ギャラリー」より
 昨年の鳴子の全国こけし祭りで最高賞を受賞したのが新山実工人であった。曾祖父の栄五郎の髷こけしの写しで、木地のバランス優れ、鋭い表情の中にも自分の個性が良く出た佳作と思われた。そうしたこともあり、今回は新山栄五郎のこけしを採り上げてみた。また、栄五郎のの弟、栄助のこけしも数が極めて少ないようなので見て貰うことにした。 
 写真,留Δ蓮⊇藉留標渭困里海韻掘Fが大きく三頭身に近いような形態に細く鋭い面描が特徴的である。「こけし・人・風土」の掲載品で昭和5年の書き込みがあるがもう少し古いこけしではないかと思っている。写真,虜犬蓮△修量棉舛粒搬腓任△襦細く鋭い面描を理解いただけると思う。
 写真△蓮髷こけしの例、こちらは昭和8年頃の作と思われる。この頃までは木地、描彩ともに張りがあって弥治郎系の中でも格調を感じさせる佳作である・晩年のいかにもおもちゃらしい気楽な味わいとは対照的である。どちらも好ましいが初期の作は必ずしも多くないようである。
 栄五郎の弟、栄助のこけしは数も少ないようなのでギャラリーでも紹介した。
 写真△蓮⊂14年作、写真の右は、14年作、写真の左は、昭和16年作ということらしい。
 ただし、栄助は晩年、半身不随とも言われており、どこまで自身の手になるものかは不明である。
 写真の右は、米浪庄弌氏の旧蔵品、写真の左は、山形の柴田はじめ氏の所蔵品であった。なかなか情味のあるこけしである。以上。こけし友の会・鈴木康郎氏著より。

「柿澤是伸実演・即売会」

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 『こけし手帖』平成26年5月 640号より。
 「柿澤是伸実演・即売会」が平成26年3月19年より千葉そごうであったので、初日の午後に出掛けてきた。昨今のこけし人気を反映してか、開店早々から多くのお客さんが訪れたとのこと。午後になっても切れ目なく来場者があった。
 是伸さんの千葉での実演は最初は誰も来る工人が無く、一番の若手ということで参加したとのことであるが、今や恒例行事となっており、この催事を楽しみにしている是伸ファンは多いことでしょう。
 今年はこけし製作20周年ということで、大きな20センチの記念こけしを30種類以上持って来ていた。他にも生粋の伝統こけしから是伸さんの工夫になる各種こけし、えじこ、達磨。雛、木地玩具が多数並んで「高勘」伝来の華やかな雰囲気を醸し出していた。関東地方のこけしシーズン幕開けを感じさせる催しであった。以上、こけし友の会・国府田恵一氏著より。
 ※ 鳴子系・柿澤是伸工人(昭和49年生まれ)は、父・柿澤是隆について修行。有望なこけし工人。
 私は、鳴子こけし祭りに参加した時は、毎回、柿澤工房に立ち寄っていました。ところが、是隆工人が平成28年6月22日、76歳て亡くなったのです。昨年、鳴子の柿澤工房をたずね奥様にお会いしお悔やみをさせて頂きました。奥様・柿澤眞里子工人もこけしを作り一家で各賞を取られています。工房の前は、上野々スキー場で、冬は大変賑わうそうです。ご一家の笑顔が思い出されます。

「新山左京こけし」

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 弥治郎系こけし工人・新山左京(昭和9年生まれ)。左京工人は、父の新山左内工人の下で昭和22年より木地修業を始め、昭和30年頃より左内型、昭和40年より栄五郎型のこけしを本格的に製作する。代々木地師の新山家のこけしを継承する代表的な工人です。
 左京工人は、全日本こけしコンクールに於いて三回の内閣総理大臣賞(第34・38・41回)を受賞し名人となる。また、第43回全国こけし祭りに於いて文部科学大臣賞を受賞し名誉工人ちなる卓越した技術・優れたセンスと豊富な経験を有する工人です。
 写真は、右から左内型黄胴松葉模様直胴で頭頂に赤丸と縁線が入り・一側目・猫鼻・口に紅を入れる。
 二番目は、左内型白胴井桁模様括れ胴で描彩は同一、
 三番目は栄五郎型あやめ模様枯れ胴で平頭頂に赤丸・黄色の帯状円と緑線が入り、一筆目・単調鼻・口と頬に紅を入れる。
 四番目は、栄五郎型ろくろ線地蔵型で頭頂に赤丸と緑の帯状円が入り、描彩は同一。左は、栄五郎型ろくろ線・髷で描彩は同一です。以上、平成26年3月の例会おみやげこけしとしての左京こけしです。
 ※ 新山左京工人は、昔、松山のデパートに招待工人として2回ほど来られたのです。そう、36年前のこと。わが家には、小寸こけしを初め、弥治郎系左京こけしがかなり並んでいます。平成20年、全日本こけしコンクールで、会場で再会し、懐かしくお会いしたのです。弥治郎系こけしの。黄色の描彩は、派手な様で奥ゆかしいこけしですね。現在は、長男の新山民夫工人こけしを作っている。

鳴子こけし(宮城)

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 今日の愛媛新聞朝刊に「郷土玩具あれこれ」のシリーズに鳴子こけしが(写真)載った。やっばり嬉しいですね。
 各地の郷土玩具たちは、共通した魅力を持っている。それが伝わりやすいのが、宮城県大崎市の鳴子温泉で作られている「鳴子こけし」です。
 東北6県には大きく分けて11系統の伝統こけしの産地があり、土地や作り手によって伝統が受け継がれています。中でも鳴子温泉は産地として全国的に最も知られ、こけし職人である工人30人ほどと最多、毎年9月の全国こけし祭りには多くのこけしファンや観光客が訪れます。
 そんな鳴子こけしですが、起源は謎に包まれています。江戸後期、鳴子こけしの祖とも言われた木地師の大沼又五郎が鳴子でこけしを作ったとの記録があり、又五郎作とされるものも残っています。でも、それ以前のことは分かっていません。他の地域のこけしも定かでない部分があり、伝統こけしそのものも謎に包まれているのです。
 特徴は産地で異なり、鳴子こけしは太めの胴の中央が緩やかにくびれ、代表的な模様として菊が描かれています。京都の御所人形の影響を受けたと思われる表情には品があり、はめ込まれた丸い頭を回すとキイキイと音が鳴ります。鳴子という名前と呼応しているようで、何とも楽しい。
 これらの特長は、一見分かりづらく地味に見えます。昨今は「第三次こけしブーム」といわれ、各地のこけしが注目を集める中、鳴子こけしは何だか普通だな、という印象を持つかもしれません。 
 だが、表情や模様、フォルムの違いが見えてくると、たちまち奥深い魅力が広がり、その普通さが普遍性に変わり、心にじんわり染み込んでくるのです。温かい家族のように、いつもそばにいてくれるのです。その普遍性が鳴子こけしの魅力ではないのでしょうか。そしてそれは全ての郷土玩具に当てはまる魅力だと強く感じています。※ 全くその通りですね!。

「志田菊宏こけし」

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 山形系こけし工人・志田菊宏工人(昭和34年生まれ)は、昭和55年より山形系高崎祐一工人の下で木地修業を始める傍ら、描彩は祖父の菊麻呂工人より手ほどきを受け、昭和60年よりこけし製作を始める。
 こけし製作の他、地元の神社の宮司・自然公園の管理員の仕事を兼務している。冬には2メートル以上の積雪がある大井沢で祖父の菊麻呂型こけしを主に継承している。
 こけしは志田五郎八型・志田菊麻呂型・志田栄型・本人型を製作する。
 第57回・58回全国こけしコンクール(白石)、第62回全国こけし祭り(鳴子)、第36回みちのくこけしまつり(山形)で入賞する豊富な経験と優れた木地・描彩技術を持った工人です。
 写真のこけしは4種類です。右からは、目に特徴がある五郎八型アーモンドアイ、栄型菊模様、菊麻呂型菊模様、左は、細胴に赤が映える大正型です。
 菊宏工人は、昨年の三大こけしコンクールで入賞する経験・技術共に熟練の域に達した素晴しい工人です。山形系工人が少ない現在、今後の活躍を大いに期待したいですね。
 山形系こけしは、作並で修業した小林家が、山形で始めた系統で、頭部には、作並に似た輪飾りに放射線を加えた模様を描き、胴は細めで、上下の鉋溝またはロクロ線の間に梅または桜、菊などの模様を描く。分布は、山形市、米沢市、天童市などです。

「早坂利成こけし」

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 鳴子系こけし工人・早坂利成(昭和35年生まれ)は、父の早坂隆・母のせつの下で木地・描彩の修業をして、昭和54年よりこけしを製作する。 
 こけしは鳴子共通型で直胴・枯れ胴・地蔵型等と工夫をしている。それ以外に木地玩具等も製作する。 利成工人は、足踏みロクロでこけしを製作出来る数少ない工人の一人です。伊藤松一工人・桜井昭二工人・熊谷正工人と継承される技術は大変貴重です。
 毎年鳴子で行われる全国こけし祭り及び横浜・人形の家で行われる鳴子こけし祭りで実演を見られた方は多いのではないでしょうか。
 こけしは、直胴に菊の胴模様、括れ胴に菊模様、地蔵型菊模様と紅葉模様など、どれも特徴の有るこけしです。平成25年秋には、パリにてロクロで木地挽き・描彩の実演をし、伝統こけしの素晴らしさを披露し感動を与える。また「東北復興支援・鳴子こけし実演展示」で足踏みロクロの実演が予定されている。
 ※ 早坂隆工人(大正14年~平成22年)は、木地業の家に育ち幼児からロクロに親しんだだけに、木地の挽き方には定評があった。妻(利成母)せつは、隆の木地に描彩をしたりしていたが、きわめて風格高く、人気を呼んでいた。女性描彩家の中でも抜群の一人。

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「小林吉三郎のこけし」

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 『こけし手帖』平成26年6月 641号。こけし友の会・渡邊格氏著より。
 4月半ばのある日の午後、満開の桜に誘われて散歩に出た折に、立ち寄った先のふくしまこけし談話会の仲間・菊池征夫さんから山形系小林吉三郎さんのこけしをいただいた。
 大震災の後、こけしを片付けてコンテナに積み重ねていたのを出して見せてくれた中から吉三郎さんのこけしを「格さんの思い出のこけしだから」と度量の大きい菊池さんらしいご好意であった。恐縮しながらも心から嬉しく思った。
 私が鹿間・中屋共著「こけし 美と系譜」(社会思想社 昭和41年9月刊)を読んで、こけしの奥深さとその美に惹かれ『こけしガイド』(土橋慶三著 美術出版社 昭和33年11月刊)工人紹介を頼りに、先ず老工にはがきで照会、注文して最初に入手したのが、小林吉三郎、清次郎父子のこけしで、昭和41年の暮れも押し詰まった12月28日のことである。
 その年の暮れから正月に大いに堪能したそのこけしは、平成6年西田記念館に寄贈している。この時の清次郎さんのこけしは翌年2月、仙台の青葉こけし会の新年会でご本人にお会いして、こけしに対する真摯な姿勢に感動して、戻してもらったが、吉三郎さんのこけしはそのままになって、こけしのイメージだけが残ったままだったのです。
 いただいたこけしは1尺2寸と私の思い出のこけし9寸より大きい。こけしの胴の後ろに「山型小林吉三郎 81歳」とあるが、私が求めたものにも全く同じく書いてあったように記憶している。寸法の違いは有るが、ほぼ同時期のつくられたもので、あの当時を思い飽かずに眺めている。以上。

梅木直美工人ー横浜高島屋展示販売ー

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 平成26年5月28日(水)~6月3日(火)、横浜高島屋55周年記念の山形物産展に蔵王系こけし工人梅木直美さんが実演販売に来られた。
 梅木直美さんは昭和43年2月1日生れ、父親は名工 梅木修一さんである。会社勤めの傍ら父修一さんより指導を受けこけし作りの描彩から始め、2年前からこけし専業になり現在は木地も挽く。
 「写真」 展示は女性特有の繊細な展示・販売ブースであった。直美さんの考えで並べるこけしは一段のテーブルに並べるのではなく目線のたかさでこけしが見られるように3段の棚を作り並べて見易かった。即売こけしは「色々な物を作ってみました」と。さすが人気工人で売れているとのこと。 
 「写真」◆右は父 修一さんから継承の蔵王系岡崎長次郎(岡長)型、原の雰囲気を良くとらえた作品。左は父修一型。女性工人特有の優しい表情と胴の桜崩しの躍動感ある筆の動きは素晴らしい出来栄えであった。
 その他主なものには2種類の笠こけし、岡長型と本人型。面白いものではラ・フランス型のお雛様、座った形態が似ている。横浜高島屋55周年記念限定品の金ダルマ、精悍な表情のだるまだった。
 父、修一さんの即売作品の中に我妻勝之助型こけしがあった。継承が可能であれば我々収集家の垂涎の勝之助型のこけしの復元を期待したい。
 私とは客の合間に色々お話をして頂いた。私のとっては楽しいひと時であった。直美さんの活躍を念じながら。久しぶりの岡長こけしを手に帰宅の途についた。
 こけし友の会・会長、橋本永興氏の報告より。

「第23回美轆展」

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 平成26年7月19日(土)~21日(月)まで第23回美轆展が福島市の西田記念館で開催された。 
 20日は梅雨の小雨降る日だった。会場には、会計に新山真由美さん、梅木直美さん、商品包装に新山実さん、近野明裕さんが担当し、会場内では土湯系陣野原幸紀さん、津軽系阿保六知秀さん、弥治郎系新山吉紀さん、作並系平賀輝幸さん、土湯系渡辺隆さんのお顔を拝見した。 
 正面玄関を入って左に受付・会計があり、展示販売こけしは奥に机が中央と両側に並べられ、最近の若い愛好家を意識してか小寸とそれぞれ工人さんが工夫した型こけしが並んだ。
 恒例の記念こけしは帽子こけしで参加工人30名のセット、陣野原工人代表の苦心のテーマであった。
 会場奥の窓際(4月で天候が良ければ吾妻連峰をバックに桜や桃のの花が咲く素晴らしい景観)には「伝統の中の新しいこけし展」の参加工人のこけしと最優秀賞(新山真由美工人)、優秀賞が展示されていた。系統、師匠から継承の上に則った新しいデザインのこけしは賞賛出来た。
 美轆展は20年を超え工人さんも40代50代になり円熟期を迎え、増々のこけし界発展の中核として活躍されることを望む。以上。こけし友の会々長・橋本永興氏著。

山形県こけし会と肘折温泉 №1。

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 『こけし手帖』平成26年10月 645号より。こけし友の会・春日寛司氏より。
 第62回山形県こけし会は、こけし工人、愛好家、業者の3者が参加しているユニークな会である。創立は東京こけし友の会よりも一年歴史が古い。
 東京発10時の山形新幹線で新庄へ。”よく来でけったにゃ”と歓迎されて、バスで肘折温泉へ向かう。駅前から町の中を暫く走ると田園の中へ。だんだん上り坂になり山の中へ入って行く。緑が目に心地良く、遠景には月山が望まれるが、今年は例年より雪渓が大きいとのこと。月山は7月上旬までスキーが出来、夏は高山植物の宝庫として有名。また、ここ肘折温泉は月山の登山基地としても知られている。
 最上川の支流銅山川の清流に沿って温泉街が開かれ、山の湯治場らしい雰囲気が今でも色濃く残っている。山菜の名所でもあり、秋に行われる「なめここけしまつり」では来訪者になめこ汁が降る舞われ、こけしの即売もあって賑わう。
 以前は、奥山庫治、佐藤重之助がここでこけしを作っていたが、現在では鈴木征一工人が一人で奮闘されている。
 山形県こけしの総会は、15時から17時までなので、一般の参加者は温泉街を散策したり、外湯巡りを楽しむ。ほていや、鈴木商店といった老舗の土産物店を始め、各旅館には肘折ゆかりのこけしが陳列・保存されている。外湯は上の湯、肘折いでゆ館、カルデラ温泉街の3軒で泉質はナトリウム炭酸水素塩温泉で骨折等の外傷、神経痛、リュウマチ等に効用がある。宿の内湯は男女別の浴場と昔ながらの混浴場とがある。つづく。

山形県こけし会と肘折温泉 №2。

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 つづき。こけし友の会 春日寛司氏著より。
 山形県こけし会の総会は18時から懇親会が始まる。
 岡崎幾雄副会長の司会と開会の挨拶の後、会田栄治会長の総会報告では、最近の若い工人達の腕の良さを見直している。日本人として芸術家としての魂が感じられる。良い物は残っていくように新しい物でも良い物は必ず残っていく。最近の諸物価高騰の折、こけしももう少し高く売れると良いと思うと話された。
 次いで、青葉こけし会斉藤友孝会長は、皆様のご支援で30周年を迎えることが出来た。当会の会員も若い愛好家が増えて世代交代が進んでいると挨拶された。その他、各来賓の挨拶が続く中、山菜主体の美味しい御膳とお酒で皆旧交を暖める。 
 宴たけなわの所でこけしの抽選会があり、山形の工人が心を込めて作ったこけしが各自に当り、皆大満足であった。21時頃、中締めで閉会となった。
 翌日は朝市や土産物店で買い物を楽しんだ後、温泉街の高台にある鈴木征一工人の工房を訪問。各地からの訪問者もあり、こけし談議に花が咲く。奥様手作りのわらびを始めとする山菜に舌鼓して、午後の便にて東京へ戻った。以上。
 ※ 山形系こけしは、作並で修業した小林家が、山形で始めた系統で、頭部には、作並に似た輪飾りに放射線を加えた模様を描き、胴は細めで、上下の鉋溝またはロクロ線の間に梅または桜、菊などの模様を描く。分布は、山形市、米沢市、天童市など。
 
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