『こけし手帖』平成23年1月号 600号「例会ギャラリー」より。
國分(こくぶん)榮一さんは昭和7年生まれの現在78歳、電話での話しもお元気な声でした。
榮一さんは昭和53年にコンクールで大賞をとられ、平成7年まで活躍されたがその後こけし製作から遠ざかった。一時、目を悪くし、現在は回復したがこけしは作らず色紙程度を書いている。
國分榮一さんは昭和24年鎌田文市さんに師事、昭和47年本格的にこけしを造る。当初は文市さんの師匠である佐藤勘内型を知り合いの協力で多数復元した。佐藤勘内は明治16年生まれ昭和14年没57歳。栄治の次男で。長男は伝内。父につき木地を修行、主に鎌先でこけしを造る、大正14年頃からのこけしが残っている。
写真右から,牢内11年頃の作。頭は横に広く、表情はおおらかで明るい。頭頂部ベレーのロクロ線は太細あわせて14本あり繊細な一面を表している。胴はやや細く裾がわずかに広がり、菊の赤と青に三ヵ所のロクロ線がしめている。昭和6年以前には紫の襟巻きを巻いて、黄色胴に塗りつぶしたものが多く見られる。素朴ななかに何処か芯の入った古きよき時代を代表する弥治郎こけしである。
写真△蓮∠動貍赦54年作。7寸黄色胴、紫の襟巻きと裾がわずかに広がり紫に塗られている。久松コレクションに類似、原は昭和6~7年頃の作。
写真は、榮一昭和54年作。6寸7分黄色胴、直胴裾わずかに広がり、胸の襟が特徴、西田コレクション。
写真い蓮∠動貍赦54年作。7寸5分、直胴裾がわずかに広がり、鈴木鼓童コレクションに類似、原は昭和6~11年作。
写真イ蓮∠動貍赦54年作。6寸造りつけぺッケ、首に鉋溝有り、黄色胴。
写真Δ蓮∠動貍赦60年作。6寸4分黄色胴、ぺッケ、首に紫の襟巻き。愛玩鼓楽発刊記念こけし。
昭和50・60年代に足跡を残された國分榮一さんにこれからも末永くご健勝であることを願いたい。
以上。「例会ギャラリー」こけし友の会・橋本永興氏著より。
※ 國分榮一工人は、平成26年7月26日亡くなられました。享年82歳。