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Channel: こけしおばちゃん
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「井上ゆき子さんのこと」

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 佐藤春二こけしの継承者としては、第一に井上ゆき子・はるみ親子のことがあげられる。白布の新山慶美、弥治郎の佐藤辰雄など、春二の教えをうけたことのある工人達が、春二の没後春二型のこけしを作ったりしているが、いずれも自家の本来の型が主であり、春二型を主として作っているのは会津の井上ゆき子達には及ばないであろう。
 井上ゆき子はもともと、民芸品や新型こけしの制作者井上義治の長女で、はじめ父に教わって新型こけしなどを作っていた。小林四郎を婿養子として四郎の木地に描彩をしていたが、四郎が春二の弟子であった関係で、春二に習って良いこけしを多く作った。爾来、春二型を主として作り、やがて自身も木地も作るようになり、女流工人としての評判が高くなったのであった。それと共に夫君四郎も描彩も行う様になり、これもこけし工人としての地位を確立したのであった。
 はじめ両人は喜多方市に住んでいたが、近くの塩川に居を移して、おおくの伝統こけしを世にだしたが、四郎は昭和56年1月に51歳で亡くなり、塩川の井上家には、娘のはるみとゆき子が残った。この頃のはるみはまだ子供で、母ゆき子について廻っていた。やがて師匠の春二も昭和57年に他界し、いよいよゆき子は一人立ちの春二型工人としてこけし製作を続けたのである。
 『こけし手帖』平成23年2月号 601号 こけし友の会・柴田長吉郎著。
 ※(井上ゆき子工人は、平成22年11月1日永眠。享年77歳。)
 つい昨日の事の如く、思い出されるが、もうあの美しい姿に接する事は出来ない。ただ幸いにも、娘のはるみさんが美しく育ち、母ゆずりの良いこけしを作り続けているので、私は彼女に期待をつなぎたいと思っている。(慣例のより工人名は敬称を省略 平成22年記)合掌。

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